末近内蔵助
末近 内蔵助(せちか くらのすけ)は、戦国時代の武将。安芸国の国人である小早川氏の家臣。苗字の読みは「すえちか」とも。
時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
改名 | 中原内蔵助→末近内蔵助 |
主君 | 小早川氏 |
氏族 | 中原氏→末近氏 |
父母 | 父:中原就久 |
子 | 信賀 |
生涯
編集中原就久の子として生まれ、小早川氏に属する。備後国の末近と羽倉を領し、在名から「末近」の苗字を名乗った。
安芸国の国人である平賀氏において、当主の平賀弘保と嫡男の平賀興貞の間で度々争いが起こっており、天文5年(1536年)8月、毛利元就は平賀弘保とその次男・入野貞景に味方し、平賀興貞の頭崎城を攻撃した。この時の戦いに内蔵助も加わり、乃美氏の仲介で元就から感謝の意を表されている。
それ以降の内蔵助の動向は不明だが、子の信賀が後を継いだ。
参考文献
編集- 『萩藩閥閲録』巻40「末近九左衛門」