末次火事
1698年に長崎で発生した大火災
末次火事(すえつぐかじ)は元禄11年(1698年)に、長崎で発生した大火災である。元禄大火、末次の大火とも言う。
元禄11年(1698年)4月23日の未明に、後興善町の乙名である末次七郎兵衛宅から出火[1][2]。強風により大火となり、午後4時に鎮火するまで約12時間燃え続けた。
この火事は、付近の町22町に延焼し[1][3]、家屋2044軒、土蔵33棟を焼失[1]。それとは別に107世帯が取り崩された[4]。被災者9832人、死者男7人、女1人。この他に犬121匹、猫297匹の焼死も記録に残されている[5]。
火災後
編集火災の後、被災者のために緊急米が2000俵放出された。
この火事により、長崎に入港していた唐船20隻分の荷物[6]を収納していた土蔵18棟も全焼した。そのため、元禄15年(1702年)に浜町の海岸沿いを埋め立てて人工島が造られ、そこに倉庫が建設された[7]。この倉庫は新地蔵所と呼ばれ、唐船専用の貨物倉庫となった[1]。
この地は現在は新地町と呼ばれ、長崎の中華街となっている。
脚注
編集参考文献
編集- 原田博二『図説 長崎歴史散歩 大航海時代にひらかれた国際都市』河出書房新社 1999年 ISBN 4-309-72612-7
- 『長崎県の地名 日本歴史地名大系43』 平凡社
- 『長崎県大百科事典』 長崎新聞社