木谷徳雄
経歴
編集1929年の第1回全日本スピードスケート選手権大会で優勝[3]。1932年のレークプラシッドオリンピックでは500m、1500m、5000m、10000mの4種目に出場したがいずれも予選で敗退した。
1944年満州にて招集され、終戦後はソ連によって抑留される[1][2]。1947年、シベリア南部チタ州の収容所にて肺炎の為死去[1][2]。
脚注
編集参考文献
編集- 曾根幹子「「戦没オリンピアン」をめぐる調査と課題 ―広島県出身選手を事例に―」『広島市公文書館紀要』第32号、2020年、1-13頁。
- 表1 日本人戦没オリンピアン(2020年1月末日現在)(pp.9-10)
外部リンク
編集- Speed skating 1932
- 木谷徳雄 - Olympedia
- 冬季オリンピックメモリーズ