木村 艮(きむら ごん、1868年8月19日(明治元年7月2日[1][注釈 1])- 1930年昭和5年)10月2日[2])は、明治から昭和初期の農業技術者、実業家政治家衆議院議員。旧姓・西川。

木村艮

経歴

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山城国綴喜郡、のちの京都府綴喜郡田辺村(田辺町[3]を経て現京田辺市)で、西川長次の二男として生まれ[4]、1885年(明治18年)木村艮司の養子となり[4]、1891年(明治24年)4月、家督を相続した[4]。1896年(明治29年)7月、帝国大学農科大学農学科を卒業した[2][4][5]

京都府技師となる[4]。同年8月、京都府農会技師兼幹事となり1908年(明治41年)4月まで在任[6]。この間、京都府立農林学校[注釈 2]嘱託教師、京都蚕業講習所[注釈 3]嘱託教師、京都府立農事試験場[注釈 4]嘱託なども務め[4][6]、京都府下の農業振興に尽力した[7]

1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙に京都府郡部から無所属で出馬して初当選[8]。1912年(明治45年)5月の第11回総選挙では中央倶楽部所属で出馬して再選され[8]、その後立憲同志会に所属し衆議院議員に連続2期在任した[2][3]。その後、第12回(立憲同志会)、第13回総選挙(無所属)に連続して立候補したがいずれも落選した[9]

その後、京都人造肥料社長などを務めた[2][3][7]

脚注

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注釈

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  1. ^ 『人事興信録 第4版』き7頁では7月7日。
  2. ^ 京都府立農林専門学校を経て現京都府立大学
  3. ^ のち京都高等蚕業学校
  4. ^ 京都府農林水産技術センター 農林センター

出典

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  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、16頁。
  2. ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』207頁。
  3. ^ a b c 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』149頁。
  4. ^ a b c d e f 『人事興信録 第4版』き7-8頁。
  5. ^ 『帝国大学一覧 従明治29年至明治30年』帝国大学、1896年、561頁。
  6. ^ a b 『日本農界偉人名鑑』11頁。
  7. ^ a b 『京都新人物百短評』107-108頁。
  8. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』43頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』43、83頁。

参考文献

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  • 多木製肥所編『日本農界偉人名鑑』多木製肥所、1911年。
  • 京阪万朝社編輯部『京都新人物百短評』京阪万朝社、1912年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。