木村東介
木村東介(きむら とうすけ、1901年4月8日 - 1992年3月11日[1])は美術商。本名は文雄。山形県米沢市出身。建設大臣などを務めた木村武雄は弟。
きむら とうすけ 木村 東介 | |
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生誕 |
1901年4月8日 山形県米沢市 |
死没 | 1992年3月11日(90歳没) |
職業 | 美術商 |
来歴・人物
編集米沢商業学校を中退して上京。やくざな生活や院外団暮らしを続け、一時は憲政公論社に入社。乱闘で片腕を失う。法廷で出会った裁判官の人格と気骨に打たれ改心する[3]。
柳宗悦の指導を受け[3]、1936年、東京・湯島天神下に羽黒洞を創立。肉筆浮世絵、大津絵、泥絵などの民族美術を取り上げる[2]。1960年、上野池之端に不忍画廊(しのばずがろう)を開く(2012年日本橋に移転)。
放浪の画家である長谷川利行の絵画、米沢出身の東洋思想家宮島詠士の書を世に紹介した。戦後は、瞽女を描いた斎藤真一を世に問い、瞽女ブームをつくった[2]。吉川英治、勅使河原蒼風らの知遇を得たほか、潜行中であった辻政信をかばった。弁も筆も立ち、芸術院や日展の腐敗を攻撃し、有名画商と人気画家の腐れ縁を弾劾した。その一方で、現代の不遇な異色画家を後援した[3]。
著書
編集- 『ランカイ屋憂愁―鬼才荘八追想記』大西書店、1976年。
- 『女坂界隈』大西書店、1976年。
- 『不忍界隈』大西書店、1978年。
- 『上野界隈』大西書店、1979年。
- 『湯島界隈』大西書店、1980年。
- 『切通し界隈』博文館新社、1980年。ISBN 4891779012
- 『池の端界隈』青英舎、1982年。ISBN 479522210X
- 『米沢の雪―随想』羽黒洞、1982年。
- 『文化庁長官への提言』大陽工業吉生会、1984年。
- 『浮世絵渡世』羽黒洞、1989年。
- 『東介波瀾万丈 : 民族美術に賭けた一生』銀座屋出版社、1991年。
- 『言い残したこと』羽黒洞木村東介、1993年。
- 『ランカイ屋東介の眼―ピカソより北斎、ゴッホより利行』羽黒洞木村東介、2001年。ISBN 4753413853
脚注
編集参考文献
編集- 山形放送株式会社新版山形県大百科事典発行本部事務局編 『新版山形県大百科事典』 山形放送、1993年。