木原円次
台湾総督府官僚、陸軍司政長官
木原 円次(きはら えんじ、1891年(明治24年)4月1日[1][2] - 没年不詳)は、台湾総督府官僚、陸軍司政長官。台北市尹、台北市長。弁護士。
経歴
編集広島県安芸郡海田市町(現在の海田町)出身[1]。1914年(大正3年)に陸軍士官学校(26期)[3]を卒業し、歩兵少尉に任官[4][5]。1918年(大正7年)に中尉に昇進するが、1920年(大正9年)に病のため予備役となった[4][5]。1921年(大正10年)、中央大学を卒業し、会計検査院書記を務めながら、翌年に弁護士試験と高等試験に合格した[4]。1923年(大正12年)、台湾総督府属となり、警視、事務官・警務局理蕃課長、台北州警務部長、警務局警務課長、新竹州内務部長、内務局土木課長、専売局参事・庶務課長を歴任[5]。1937年(昭和12年)、総督官房調査課長となり、1939年(昭和14年)には企画部長となった[5]。台北市尹、台北市長を経て、1941年(昭和16年)に専売局長に就任した[5]。
1942年(昭和17年)、陸軍司政長官となり[1]、第16軍軍政監部付(ジャワ島)として、ケデリ州長官、プリアンガン州長官を務めた[6]。1945年(昭和20年)退官し、弁護士を開業した[7]。
脚注
編集- ^ a b c 大衆人事録 1943.
- ^ 『日本官界名鑑』では7月生まれ。
- ^ 山崎正男編『陸軍士官学校』秋元書房、1969年、237頁。
- ^ a b c 輓近大日本拓殖史 1934.
- ^ a b c d e 日本官界名鑑 1942.
- ^ 戦前期官僚制研究会編『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年。
- ^ 法曹公論社 1962, 657頁.