木下是雄
木下 是雄(きのした これお、1917年(大正6年)11月16日 - 2014年(平成26年)5月12日[1])は、日本の物理学者。早稲田大学理工学術院物理学科教授であった木下一彦は息子。
薄膜や固体表面に関する研究を進めていく一方で、ロゲルギストの一員として、雑誌「自然」に科学に関するエッセイを多数発表した。また、日本語教育に関する著書も多数発表した。特に『理科系の作文技術』は1981年の初版から40年以上経った現在も重版されるほどのベストセラーとなっている。
略歴
編集- 1917年(大正6年) - 医学者で熊本医科大学教授を務めた益雄の長男として東京府で生まれる[2]。
- 1941年(昭和16年) - 東京帝国大学理学部物理学科を卒業[2]。
- 1953年(昭和28年) - 学習院大学理学部教授に就任。
- 1956年(昭和31年) - 学術会議オブザーバーとして米国南極観測隊に参加。
- 1968年(昭和43年) - 応用物理学会会長に就任。
- 1969年(昭和44年) - 国際光学委員会副会長に就任。
- 1973年(昭和48年) - 学習院大学理学部長に就任。
- 1981年(昭和56年) - 学習院大学学長に就任。
- 1985年(昭和60年) - 学習院大学を退職。名誉教授。
- その他、名古屋大学理工学部講師・同大学工学部助教授などを歴任。
- 2014年(平成26年)5月12日 - 老衰により死去。96歳没。
著書
編集単著
編集- まさつの研究 (1950年、創芸社)
- ペルケオ・スキー読本 (1954年、朋文堂)
- 物質の世界 現代物理へのアプローチ (1972年、培風館)
- スキーの科学 (1973年、中公新書)
- 砂・雪・スキー (1979年5月、ラボ国際交流センター)
- 理科系の作文技術 (1981年1月、中公新書)
- 物理・山・ことば (1987年10月、新樹社)
- レポートの組み立て方 (1990年3月、筑摩書房) (1994年2月、ちくま学芸文庫)
- 木下是雄集1 物理の樹 (1995年11月、晶文社)
- 木下是雄集2 山 ひと スキー (1996年1月、晶文社)
- 木下是雄集3 日本人の言語環境を考える (1996年4月、晶文社)
- ヒマラヤ・トレッキング (2003年5月、新樹社)
- 日本語の思考法 (2009年4月、中公文庫)
共著
編集- スキーの物理と力学 スキーはなぜすべるか (穂坂直弘共著、1972年、日立製作所)
- 応用物理ポケットブック (E. インゲルスタム、S. ショーベリー共著、1974年、培風館)
- 表面・微粒子 (責任編集、1986年8月、共立出版)
- なぜ日本人は英語が下手なのか (マーク・ピーターセン、上田明子、高野フミ共著、1990年2月、岩波書店)
- マニュアルはなぜわかりにくいのか—日本語と経済の情報摩擦 (堺屋太一、鈴木孝夫、言語技術研究会共著、1991年10月、毎日新聞社)
翻訳
編集参考文献
編集- 交詢社 第69版 『日本紳士録』 1986年
脚注
編集- ^ “物理学者の木下是雄さん死去 「理科系の作文技術」”. 朝日新聞デジタル (2014年12月16日). 2014年12月16日閲覧。
- ^ a b 木下是雄『理科系の作文技術 52版』中央公論新社、2005年、235頁。ISBN 4-12-100624-0。