木下利忠
木下 利忠(きのした としただ)は、江戸時代中期の大名。備中国足守藩7代藩主。官位は従五位下・肥後守、宮内少輔。足守藩木下家8代。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
---|---|
生誕 | 元文3年4月7日(1738年5月25日) |
死没 | 文化6年8月12日(1809年9月21日) |
改名 | 定太郎、利忠 |
官位 | 従五位下肥後守、宮内少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗、家重、家治 |
藩 | 備中足守藩主 |
氏族 | 木下氏 |
父母 | 木下利潔、木下㒶定養女 |
兄弟 |
利忠、本多成美、利春、美代姫、 京極高久正室、石川総相正室、 織田信之正室 |
妻 | 松浦誠信娘、松崎氏 |
子 |
利寛、利彪、於久、新庄直規正室、品、 木下利恭室、花房職陽正室、木下利徳正室 |
略歴
編集5代藩主・木下利潔の長男として誕生。幼名は定太郎。
天明4年(1784年)7月27日、家督を次男の利彪に譲って隠居した。文化6年(1809年)8月12日、72歳で死去した。