朝海和夫
日本の外交官
朝海 和夫(あさかい かずお、1943年(昭和18年) - )は日本の外交官。EU大使等を務めた。名誉法学博士(アマースト大学・2005年)。
人物
編集栄光学園高等学校を経て、1962年(昭和37年)一橋大学商学部入学。マーケティング専攻。体育会空手部に所属。大学入学時には、公務員になるつもりはなかったが、大学在学中の1964年(昭和39年)に外務公務員上級試験に合格し、1965年(昭和40年)に外務省入省[1]。その後在外研修員としてアマースト大学卒業(政治学)。
外務省では大臣官房総務課首席事務官、北米二課長、安倍晋太郎外務大臣秘書官、カナダ公使等を経て、第3回気候変動枠組条約締約国会議等を担当したのち[2]、2000年(平成12年)4月国際貿易経済・地球環境問題担当大使に就任。2001年(平成13年)7月にボンで行われた気候変動枠組条約第6回締結国会議再開会合に日本政府代表として参加[3]。また2001年(平成13年)から日本初の自由貿易協定である日本・シンガポール経済連携協定の締結交渉の政府代表を務め、[4]自由民主党政務調査会農林水産物貿易調査会の意向を受け、農産物については、新たに関税を撤廃するものはないとの日本側の方針をシンガポールに伝えた[5]。
親族
編集朝海浩一郎(元駐アメリカ合衆国大使、元外務審議官)は父、出淵勝次(元駐アメリカ合衆国大使、元外務次官)は祖父、菊池武夫(元司法省民事局長、元東京弁護士会会長、中央大学創立者・初代学長)は曽祖父。妻は岡谷鋼機岡谷家岡谷康治の長女[6]。
略歴
編集- 1943年(昭和18年) - 東京都出身
- 1949年(昭和24年) - 幼稚園から湘南学園小学校入学
- 1951年(昭和26年) - ロンドンに転居
- 1958年(昭和33年) - アメリカ合衆国に転居
- 1962年(昭和37年)3月 - 栄光学園高等学校卒業
- 1965年(昭和40年) - 一橋大学商学部、外務省入省
- 1989年(平成元年)2月 - ジュネーブ国際機関日本政府代表部公使
- 1993年(平成5年)8月 - 外務省経済局審議官
- 1995年(平成7年)8月 - 外務省総合外交政策局国際社会協力部長
- 1998年(平成10年)1月 - 在ミャンマー特命全権大使
- 2000年(平成12年)4月 - 特命全権大使(国際貿易・経済、地球環境問題担当)
- 2002年(平成14年) - 欧州連合日本政府代表部特命全権大使
- 2005年(平成17年)11月 - 退官
- 2006年(平成18年)12月 - 独立行政法人日本原子力研究開発機構特別顧問
- 2008年(平成20年)4月 - 武蔵大学人文学部客員教授
- 2011年(平成23年)4月 - 立命館大学衣笠総合研究機構客員教授
- 2011年(平成23年)5月 - 社団法人霞関会理事長
- 文部科学省日本ユネスコ国内委員会委員、日本シンガポール協会顧問、立命館大学国際地域研究所顧問、日本放送協会国際放送番組審議会委員、財団法人石油産業活性化センター顧問、社団法人如水会常務理事・組織強化委員長、日本国際フォーラム政策委員等も務めた。
- 2018年(平成30年)4月 - 瑞宝中綬章受章[7]
同期
編集- 加藤良三(駐米大使・外務審議官・総合外交政策局長・アジア局長・プロ野球コミッショナー)
- 折田正樹(駐英大使・北米局長・条約局長)
- 茂田宏(テロ対策担当大使・駐イスラエル大使)
- 津守滋(00年駐ミャンマー大使・98年駐クウェート大使)
- 田中克之(駐メキシコ大使・中南米局長)
- 木谷隆(駐ペルー大使)
- 小西正樹(駐マレーシア大使・国連大使)
- 佐藤裕美(駐コートジボワール大使)
- 佐々木高久(駐ナイジェリア大使)
- 河村武和(欧州連合大使・儀典長)
- 内田富夫(00年駐スウェーデン大使・95年駐シリア大使)
- 松井啓(01年駐ナイジェリア大使・98年駐ブルガリア大使・93年初代駐カザフスタン大使)
- 竹中繁雄(03年査察担当大使・99年駐トルコ大使・97年法務省入国管理局長・93年駐バングラデシュ大使)
論文等
編集- 「温暖化防止--外交の現場から(特集 持続可能な未来のビジョン) 」(学際(20)、2007年11月)
- 「ヨハネスブルグ・サミットの成果と日本〔含 質疑応答〕」(世界経済評論46(11)(通号 567)、2002年11月)
- 「座談会 地球温暖化防止交渉「次の一手」は何か」(中央公論115(13)(通号 1399)、2000年12月)
- 「<インタビュー>予防・救援・復興--日本が取り組むべき3つの課題(特集 連動する難民と国連平和維持活動)」(外交フォーラム10(3)、1997年3月)
脚注
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