朝比奈 泰煕(あさひな やすひろ)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武士今川家の家臣。遠江国掛川城主。

 
朝比奈泰煕
時代 室町時代後期 ‐ 戦国時代
生誕 不明
死没 永正8年1月1日1511年1月30日
官位 丹波守(受領名)
主君 今川義忠氏親
氏族 朝比奈氏
父母 朝比奈吉俊
兄弟 泰煕泰以氏泰時茂
泰能
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略歴

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朝比奈吉俊の子として誕生。

駿河国の今川氏に従い、文明年間(1469年 - 86年)に今川義忠の命を受け、遠江佐野郡に掛川城を築城した。

連歌師宗長と親しく、永正8年正月21日に宗長が泰煕の三七忌(21日目の法要)を行っていることが『宗長手記』に記されているため、遡って同年の元日に亡くなったことが判明する[1]

浅倉直美は泰煕の娘が今川氏親の側室となり、今川義元を生んだ可能性を指摘している[2]

今川氏の家臣とされる福島正成を讒言し、義忠の嫡男・氏親と仲違いさせ、正成を死に至らしめたという説がある(ただし、正成を後世の創作による人物とする説もある。詳しくは同項目を参照のこと)。

脚注

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  1. ^ 糟谷幸裕「三河舟方山合戦の時期について」『戦国史研究』第37号、1999年。 /所収:黒田基樹 編『今川氏親』戎光祥出版〈シリーズ・中世関東武士の研究 第二六巻〉、2019年4月、155頁。ISBN 978-4-86403-318-3 
  2. ^ 浅倉直美 著「北条氏との婚姻と同盟」、黒田基樹 編『今川義元』戎光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 第1巻〉、2019年6月、228-229頁。ISBN 978-4-86403-322-0