豊後・日向国境線の朝日岳に天正10年(1582年)、大友義鎮の命により柴田紹安が築城した。日向より豊後に抜ける街道筋を押さえる要衝にあったが、築城・守城を任された紹安はこれを左遷として不満に思い、天正14年(1586年)島津氏が侵攻してくると、すかさずこれに内応、明け渡した。
直後、この城は島津氏の拠点として土持親信が入城し、城主となった。しかし、わずか半年の後、大友氏の家臣・佐伯惟定の手で奪還された。そして豊臣秀吉の九州征伐が終わり、九州情勢が平穏になった後の文禄2年(1593年)廃城になった。
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