服部清道
経歴
編集茨城県生まれ。清五郎と名付けられる。1929年に大正大学予科を卒業[3]し、さらに同大学文学部史学科に進学し[4]、1932年に卒業[5]。1936年に比叡山専修院に入学し仏教学を学び、1941年3月に卒業[6]。藤嶺学園で教員を務めたのち、横浜商科大学教授となり、藤沢市文化財保護委員会委員長、湘南考古同好会会長なども務めた。鳥居龍蔵が主宰する武蔵野会に入会し、鳥居から仏教考古学を勧められ、また同会で三輪善之助の指導を得て、板碑を研究とするようになる[1]。1953年、「戒壇の研究」により法政大学から文学博士の学位を授与される[7]。
参考文献
編集- 中村古峡「服部君と僕」1933年。(服部清五郎『板碑概説』鳳鳴書院、1933年、9-14頁。全国書誌番号:55006845。)
- 縣敏夫『服部清道と『板碑概説』 : ある板碑研究者の歩み』揺籃社、1998年。NCID BA37589121。
- 坂誥秀一「服部清道氏の訃」『日本歴史』第594号、吉川弘文館、1997年、140頁。
- 日本歴史学会 編『日本史研究者辞典』吉川弘文館、1999年、22頁。
- 服部清道「落陽」『史迹と美術』第49巻第4号、史迹美術同攷会、1979年、150-154頁。
- 服部清道「歴史と私」『歴史手帖』第16巻第11号、名著出版、1988年、3頁、NCID AN00338842。