服部崎市
服部 崎市(はっとり さきいち、1899年(明治32年)5月6日[1][2] - 1947年(昭和22年)6月2日[3])は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。
経歴
編集愛知県[3]名古屋市[4][5]で、米穀商・服部藤吉の六男として生まれる[1]。その後、家業を継承した[1][3]。
愛知県米穀商業組合連合会顧問、全国米穀商組合連合会幹事、同副理事長、食料国防団常任理事、中央食糧営団理事・企画局長などを務めた[1][3]。その他、愛知水泳協会長、愛知県体育協会理事、名古屋体育協会理事なども務め、愛知県体育界にも貢献した[1][3][5]。
政界では、名古屋市会議員、同参事会員、愛知県会議員、同副議長となる[1][3][4][5]。1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙で愛知県第1区から立憲民政党公認で出馬して初当選[3]。1937年(昭和12年)4月の第20回総選挙で再選された[3]。戦後、1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で愛知県第1区から民主党公認で出馬して当選したが[3][6]、在任中の同年6月に死去[7]。衆議院議員を通算3期務めた[3]。
脚注
編集参考文献
編集- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 『粛正選挙代議士名鑑』選挙粛正中央会編纂部、1936年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第23回』衆議院事務局、1948年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。