有馬 則篤(ありま のりあつ、文政9年(1826年) - 明治30年(1897年10月3日)は、江戸時代末期(幕末)の旗本信濃岩村田藩内藤正縄の次男として生まれ、旗本有馬家有馬則国(左京)の養子となる。子に氏弘(次男)ら。官位は従五位下出雲守。石高は3500石。

使番より、安政5年(1858年)10月24日目付となる。その後、大番頭から文久3年(1863年)5月6日に大坂東町奉行となり、元治元年(1864年)に勘定奉行となった。同年11月22日に江戸南町奉行となり、12月22日に大目付となる。

参考文献

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  • 明治維新人名辞典(日本歴史学会編 吉川弘文館)