曾侯乙
曾侯乙(そうこういつ、そこうおつ、紀元前477年頃 - 紀元前433年4月1日)は、戦国曾の君主[1][2]。名前は姫 乙(き いつ)。
曾侯乙 姫乙 | |
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曾 | |
侯 | |
王朝 | 曾 |
在位期間 | 不明 - 紀元前433年4月1日 |
姓・諱 | 姫 乙 |
生年 | 紀元前477年頃 |
没年 | 紀元前433年4月1日 |
生涯
編集史書に記載はないが1978年に曾侯乙墓から発掘された銘文[1]には死没の日が「三日甲寅」とあり、紀元前433年4月1日に45歳前後で死去したと見られている。
曾侯乙墓からは生活用品、礼器、兵器、竹簡等といった貴重な文物が大量に出土した[2]。その中でも国家一級文物に指定された編鐘が最も著名であり、上海国際博覧会で展示された。
出典
編集参考資料
編集- 石黒ひさ子「曾侯乙墓出土竹簡についての一考察」『駿台史學』第95巻、駿台史学会、1995年10月2日、34-66頁。