曹泰
曹泰(そう たい、生没年不詳)は中国後漢末期から三国時代の武将。父親は曹操の一族で魏に仕えた曹仁で兄弟に曹楷、曹範がいる。子は曹初。祖父は曹熾。
経歴
編集黄初3年(222年)、魏の文帝・曹丕が曹仁、曹真、曹休の三将軍に命じ呉攻略の軍を発した際、曹泰は父・曹仁に従い濡須(現在の安徽省蕪湖市無為県)へ出陣した。
迎え撃った呉軍の朱桓と魏軍の戦いは長きに渡り、黄初4年(223年)3月、曹泰は父・曹仁の命令で濡須城を攻めたが朱桓に敗れて退却した(濡須口の戦い)[1]。
この戦役の後、間もなく曹仁は病死したため曹泰が跡を継ぎ弟達も列侯となった。曹泰はのちに鎮東将軍、仮節まで昇進し甯陵侯に封じられ、曹泰の死後は曹初が跡を継いだ[2]。
脚注
編集- ^ 三國志 吴書·朱治朱然吕范朱桓传 (中国語), 三國志/卷56#朱桓, ウィキソースより閲覧。 - 黄武元年の項
- ^ 三國志 魏書·諸夏侯曹傳 (中国語), 三國志/卷09#曹仁, ウィキソースより閲覧。 - 黃初四年薨,諡曰忠侯。子泰嗣,官至鎮東將軍,假節,轉封甯陵侯。泰薨,子初嗣。又分封泰弟楷、範,皆爲列侯,