普済寺 (舟山市)
中国の寺院
普済寺(ふさいじ)は、中華人民共和国浙江省舟山市普陀区にある仏教寺院[1]。中国の観音霊場普陀山を代表する禅宗寺院であり、「普陀山第一の寺院」と呼ばれる。普陀山は、中国四大仏教名山にも数えられる場所である。
普済寺 | |
---|---|
普済寺 | |
基本情報 | |
所在地 | 中国・浙江省舟山市普陀区普陀山 |
座標 | 北緯29度59分51秒 東経122度22分30秒 / 北緯29.99750度 東経122.37500度座標: 北緯29度59分51秒 東経122度22分30秒 / 北緯29.99750度 東経122.37500度 |
宗教 | 仏教 |
神性 | 観音 |
宗派 | 禅宗 |
建設 | |
様式 | 中国建築 |
創設者 | 恵萼 |
創設 | 916年 |
歴史
編集普済寺は、日本僧の恵萼によって創始されたといい、もともと不肯去観音院と呼ばれていたとされている[1]。
五代十国時代の呉越国の貞明年間(915年 - 921年)、建築規模が拡大し、寺院に昇格した。
北宋の元豊3年(1080年)に宝陀寺と改められた。宋代の改名に「五台円光寺」と「宝陀観音寺」がある。嘉定7年(1214年)、寧宗から「円通宝殿」の額を賜った[1]。
明の洪武年間(1368年 - 1398年)、中央政府が海禁政策を実行し、派遣された湯和が山に入って仏殿を焼いたため、仏像は寧波の棲心寺に移された。弘治元年(1488年)には寺院が重修された。嘉靖年間(1522年 - 1566年)、全国で道教を振興し仏教を廃滅する運動が展開され、廃仏により一度は廃寺となった。万暦33年(1605年)、万暦帝が宦官の張随を派遣して霊鷲峰の下で宝陀観音寺を創立し、「護国永寿普陀禅寺」の名を賜った[1]。
清の康熙8年(1669年)、オランダの侵入により、寺は全焼した。康熙38年(1699年)に大規模な再建によって、康熙帝から「普済群霊」の額を賜り、「普済禅寺」と改称。雍正9年(1731年)、堂宇の殿堂及び部屋を増築した[1]。