時習館 (熊本藩)
熊本藩の藩校
藩校時習館(はんこう じしゅうかん)、九州熊本藩(現、熊本県熊本市)第8代藩主細川重賢(しげかた)が宝暦5年(1755年)に設立した藩校。続いて宝暦6年(1756年) 重賢は藩の医学校再春館 (学校)も建てた。両校とも明治3年(1870年)に廃校になった。
解説
編集細川内膳家当主長岡忠英を初代総教(総長)に、秋山玉山を教授(学長)に迎えて開校し、115年続いた全国に名を知られた藩校のひとつである。熊本藩士族の文武両道、質実剛健の気風を育てたとされる。幕末期には横井小楠が時習館に学び、塾頭も勤めた(小楠は後に時習館を脱退する)。
秋山玉山が創立の翌年作った「時習館学規」の中に体罰否定の思想が明文化されている。このことは他への影響が大きかった。[1]
玄関上書札
編集著名な教官
編集著名な出身者
編集脚注
編集参考文献
編集- 文部省『日本教育史資料』《參》富山房、1890年 。
- 江森一郎『体罰の社会史』(新装版)新曜社、2013年4月。ISBN 978-4-7885-1335-8。
関連項目
編集外部リンク
編集- 歴史ドラマ「藩校時習館」 - 熊本城公式ホームページ
- 早稲田大学古典籍データベース、『本朝孝子伝 巻上 中 下』(著者:藤井懶斎 狩野永敬、時習館図書之印記(熊本藩校)九曜文庫、中野幸一旧蔵)、『旧考』(時習館学規科条大意(秋儀撰、藪愨撰他) 印記:熊本人中邨万喜直道氏手写本)]