時原春風
時原 春風(ときはら の はるかぜ)は、平安時代初期から前期にかけての貴族・能書家。氏姓は秦忌寸のち時原宿禰、時原朝臣。官位は従五位下・采女正。
時代 | 平安時代初期 - 前期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・采女正 |
主君 | 仁明天皇→文徳天皇→清和天皇→陽成天皇→光孝天皇 |
氏族 | 秦忌寸→時原宿禰→時原朝臣 |
経歴
編集嘉祥年間(848年-851年)右衛門府生を務める。貞観5年(863年)9月に一族の春上・諸長と共に秦忌寸姓を改め時原宿禰姓を賜与される(この時の官位は従六位上・図書大允)。元慶元年(877年)外従五位下に昇叙(この時の官職は采女正)。
元慶8年(884年)11月光孝天皇の践祚に伴う大嘗会に際し大嘗会印の印字を書し[1]、内位の従五位下に叙せられる。仁和3年(887年)7月朝臣姓に改姓した。
筆跡
編集太政官給公験牒
編集貞観8年(866年)円珍が太政官より下付された公験に書き誤りがあったため、円珍は春風に書き直させ、円珍はこの春風の後本を正本とし、内印を申請したと言われる。このときの春風の書が『太政官給公験牒』(だじょうかんきゅうくげんちょう)であり、園城寺に所蔵されている。書体は楷書体、書風は唐風で、字形が整斉にして点画に骨力があり、清爽明快である。
官歴
編集注記のないものは『六国史』による。