春風亭朝之助
春風亭 朝之助(しゅんぷうてい ちょうのすけ)は、落語家の名跡。
- 三遊亭朝之助 - 「大福帳」第二巻第七号(文藝社・明治44年8月1日発行)によると、東京魚川岸の生まれで、1908年の春、三遊亭小圓朝に入門し、同年秋、大阪・三友派の桂文都の一座に籍を移した。二十代後半で経歴が浅いわりに話術はうまく、「野晒し」などを得意としたとある。1909年11月上席の互楽派の出番にその名前が初めて見える。その後三遊亭一圓遊一座に入って中国、四国地方を巡業したあと帰阪し、10月上席より互楽派に出席した。割合に男ぶりもよく、特に田舎ではよくモテたらしい。本名∶真田 松太郎。
- 三遊亭朝之助 - 後:柳家小蝶
- 三遊亭朝之助 - (1936年3月 - 1976年4月7日)三代目三遊亭小圓朝門下ではじめ朝次、1965年に三遊亭朝之助に改名。本名∶福石 三郎。 日本・東京都大田区鵜の木生まれ。七代目立川談志と同年齢で噺の稽古をし合う仲だったが、二ツ目の時分にアルコール中毒で死去した。柳家小満んに噺が伝わっている。墓所は羽田にある真言宗『自性院』。
- 春風亭朝之助 - 現:六代目春風亭柳朝
- 春風亭朝之助 - 現:春風亭梅朝