春見京平
春見 京平(はるみ きょうへい、1885年(明治18年)6月1日[1] - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
春見 京平 | |
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生誕 |
1885年6月1日 日本 岐阜県 |
死没 | 没年不明 |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1907年 - 1938年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
除隊後 | 大政翼賛会名古屋市支部常務委員兼組織部長 |
経歴
編集岐阜県出身[1]。陸軍士官学校第19期卒業[1]。1917年(大正6年)8月、陸軍歩兵大尉に進級し[2]、1923年(大正12年)9月時点で陸軍兵器本廠兼陸軍省人事局課員の任にあった[2]。1924年(大正13年)3月、陸軍歩兵少佐に進級し[3]、9月時点で陸軍兵器本廠附を免ぜられ[3]、1925年(大正14年)9月時点で陸軍技術本部附を兼ねた[4]。1928年(昭和3年)3月、歩兵第68連隊大隊長に就任し[5]、1929年(昭和4年)8月、陸軍歩兵中佐進級と同時に歩兵第68連隊附に移り[6]、1931年(昭和6年)8月に朝鮮軍副官に着任した[7]。
1933年(昭和8年)3月、独立守備歩兵第6大隊長(関東軍・独立守備隊[8][9][10])に就任し[10]、鞍山に位置した[10]。1934年(昭和9年)8月、陸軍歩兵大佐進級と同時に甲府連隊区司令官に着任し[11]、1936年(昭和11年)3月に歩兵第28連隊長(第7師団・歩兵第14旅団[12][13])に転じた[11]。1933年(昭和13年)1月20日に第7師団司令部附となり[1]、3月1日に陸軍少将進級と同時に待命[1][11]、3月25日に予備役に編入された[1]。
栄典
編集- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[16]
脚注
編集- ^ a b c d e f g 福川 2001, 603頁.
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正12年9月1日調261頁
- ^ a b 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正13年9月1日調252頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 大正14年9月1日調218頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和3年9月1日調181頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和4年9月1日調166頁
- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 昭和6年9月1日調115頁
- ^ 外山・森松 1987, 354頁.
- ^ 外山・森松 1987, 357頁.
- ^ a b c 外山・森松 1987, 358頁.
- ^ a b c 外山 1981, 248 頁.
- ^ 外山・森松 1987, 384頁.
- ^ 外山・森松 1987, 386頁.
- ^ 名古屋市会事務局 1955, 121頁.
- ^ 名古屋市会事務局 1955, 127頁.
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
編集- 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 第9巻 (昭和15-18年)』名古屋市会事務局、1955年 。