春日大社五重塔
春日大社に中世まで存在した東西双塔の五重塔
春日大社 > 春日大社五重塔
歴史
編集- 天永3年(1112年)、関白藤原忠実の本願で西塔が起工。「殿下の御塔」と称される。
- 永久4年(1116年)3月6日、西塔落慶。塔は回廊に囲まれていた。
- 保延6年(1140年)10月29日、鳥羽上皇の本願で東塔が建立され「院の御塔」と称される[3]。こちらも塔は回廊に囲まれていた。また、東塔には裳階が付けられていた。
- 東塔は高さ十七丈の規模という[4]。
- 治承4年(1180年)、平重衡の南都焼討により両塔は焼失する。
- 建保5年(1217年)、東塔は再興される[5]。
- 寛元4年(1246年)、西塔の心柱に相輪裳を上げる。
- 応永18年(1411年)閏10月15日、雷火によって興福寺の4代目東金堂、5代目五重塔、大湯屋と共に両塔は焼失する。
- 以後度々再興が計画されるが現在まで実現していない。
脚注
編集参考文献
編集- 上田篤編『五重塔はなぜ倒れないか』新潮社(新潮選書)
- 殿暦
- 中右記
- 百錬抄
- 興福寺別当次第
- 院家雑々跡文