春島丸 (特設電線敷設船)
春島丸(はるしままる)は日本海軍の特設電線敷設船。前身はアメリカ陸軍の機雷敷設艦カーネル・ジョージ・F・E・ハリソン(USAMP Col. George F. E. Harrison)を捕獲したものであった。
春島丸 | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | ファブリケーティッド造船社[1] |
運用者 |
アメリカ陸軍 大日本帝国海軍 |
艦種 |
機雷敷設船[2] 特設電線敷設船[3] |
級名 | スピードウェル級機雷敷設船[2] |
艦歴 | |
起工 | 1919年(アメリカ陸軍)[1] |
進水 | 1920年(アメリカ陸軍)[1] |
竣工 | 1920年(アメリカ陸軍)[1] |
就役 |
1920年5月4日(アメリカ陸軍)[1] 1943年7月15日(日本海軍) |
最期 | 1945年7月18日に戦没[3] |
除籍 | 1945年9月15日[3] |
要目(特記のない数値はアメリカ陸軍時のもの) | |
排水量 | 704 総トン数[1] |
全長 | 172 ft(52.4 m)[1] |
幅 | 32 ft(9.8 m)[1] |
吃水 | 17 ft(5.2 m)[1] |
主缶 | ページ&バートン缶×2基[1] |
主機 | アリス・チャルマース蒸気レシプロ機関×2基[1] |
出力 | 1,000 shp[1] |
推進器 | 2軸推進[1] |
速力 | 11 ノット[1] |
乗員 |
士官 7 名、下士官・兵 40 名 (アメリカ陸軍)[2] 士官 5 名、下士官・兵 63 名 (日本海軍)[3] |
兵装 |
アメリカ陸軍:[1]なし 日本海軍(最終時):[3] 八糎高角砲×1門 九六式二十五粍機銃 二式爆雷改二 |
船歴
編集本船は、アメリカ陸軍のスピードウェル級機雷敷設船の1隻として[2]ウィスコンシン州ミルウォーキーのファブリケーティッド造船社で1920年に進水、同年5月4日にパナマ沿岸砲兵管区に就役した[1]。機雷敷設船とは、沿岸防衛用機雷の敷設のためにアメリカ陸軍が整備していた機雷敷設艦の一種である[4]。
就役後はパナマとフィリピンでの沿岸防衛用機雷の整備に従事した[1]。太平洋戦争勃発後のフィリピンの戦いにおいて、本船はコレヒドール島付近で日本海軍に捕獲された[3]。
捕獲後の本船は特設電線敷設船春島丸として1943年7月15日に佐世保鎮守府所管となり、1943年8月15日に連合艦隊南東方面艦隊付属となった後で日本本土へ回航された。所属は同年12月25日に第四艦隊、さらに1944年2月15日に横須賀鎮守府に変更されている[3]。
本土到着後の春島丸は一貫して本土近海での海底電線敷設と対潜哨戒に従事していた。1945年4月15日、城ヶ島灯台南西7海里付近を航行中、アメリカ陸軍航空隊のP-51戦闘機の空襲を受けて損傷した[3]。
横須賀海軍工廠の岸壁に停泊して修理中だった1945年7月18日、横須賀空襲に遭遇した春島丸の船体中央部に爆弾1発が命中。船体が二つに折れてその場で擱座、全損となった[2]。終戦後の1945年9月15日除籍[3]。なお春島丸は沈没後に引上げ復旧、返還されたとする文献もある[5]。
栄典
編集出典
編集- ^ a b c d e “IJN Cable-Layer HARUSHIMA”. www.combinedfleet.com. 14 May 2020閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “春島丸の船歴”. 大日本帝國海軍特設艦船. 2020年5月14日閲覧。
- ^ “PRINCIPLE ARMAMENT - MINE FIELD”. Fort Miles.org. 14 May 2020閲覧。
- ^ 宮田幸彦「日本商船隊壊滅の経過と拿捕船」『海事博物館研究年報』第37巻、神戸大学大学院海事科学研究科、2009年3月、11-17頁、doi:10.24546/81005816、hdl:20.500.14094/81005816、ISSN 1880005X、2023年4月7日閲覧。