明星輪寺

岐阜県大垣市にある真言宗の寺院

明星輪寺(みょうじょうりんじ)は、岐阜県大垣市にある真言宗寺院である。山号は金生山(きんしょうざん)。寺が建つ山「金生山」は山号に由来する。

明星輪寺

2007年平成19年)撮影
所在地 岐阜県大垣市赤坂4610
位置 北緯35度24分2.06秒 東経136度34分42.82秒 / 北緯35.4005722度 東経136.5785611度 / 35.4005722; 136.5785611座標: 北緯35度24分2.06秒 東経136度34分42.82秒 / 北緯35.4005722度 東経136.5785611度 / 35.4005722; 136.5785611
山号 金生山
宗派 真言宗
本尊 虚空蔵菩薩
創建年 伝・686年朱鳥元年)
開基 伝・役小角持統天皇(勅願)
別称 虚空蔵さん
札所等 西美濃三十三霊場31番
日本三大虚空蔵
文化財 木造地蔵菩薩半跏像(重要文化財)
木造金剛力士立像・算額・如法経碑・梵鐘(岐阜県指定重要文化財)
本堂・観音額・扇面型絵馬(市文化財)
法人番号 9200005004653 ウィキデータを編集
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本堂(2007年撮影)
本堂の脇の丘にある蔵王権現しゃ

概要

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通称「赤坂虚空蔵」、「虚空蔵さん」、「こくぞうさん」。日本三大虚空蔵の一つという。(京都法輪寺、伊勢朝熊山金剛證寺、他の説もある)

本尊虚空蔵菩薩。洞窟(岩屋)の中にある彫刻。言い伝えによれば、役小角が彫刻したものという。

西美濃三十三霊場第三十一札場。

沿革

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寺伝によれば、686年朱鳥元年)、持統天皇の勅命により、役小角が開山。2年後に建立したという。一時廃れるが、平安時代801年延暦20年)、空海が再興し、真言宗に改宗。桓武天皇により保護を受けたという。

1148年久安4年)の落雷により焼失。再建されるが、小規模となってしまう。

1609年慶長14年)、美濃国高須藩藩主徳永寿昌の援助で再建される。1657年明暦3年)、大垣藩藩主戸田氏信により、大垣藩藩主戸田氏の祈祷所に指定され賑わう。1863年文久3年)、戸田氏彬の援助で現在の本堂が再建される。

1869年明治2年)、神仏分離令により蔵王権現宮が金生山神社として分離独立する。

文化財

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重要文化財
岐阜県指定重要文化財
岐阜県指定重要有形民俗文化財
大垣市指定重要文化財
  • 本堂(江戸時代末期)[6]
  • 観音額[6]
  • 扇面型絵馬[6]
大垣市指定重要有形民俗文化財
  • 金生山御鬮版木[6]
  • 生養稲荷神式次第全版木[6]
  • 明星輪寺奉納絵馬[6]
大垣市指定名勝
  • 金生山岩巣公園[6]

所在地

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交通アクセス

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虚空蔵さんのお話

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大垣市には、このような昔話が伝わっている。

ある日、虚空蔵さんが草むらで立小便をしていると、そこに眠っていた大蛇にかかってしまう。この大蛇は、伊勢国で虚空蔵さんに恋焦がれた女性が、虚空蔵さんに会いたい一心で大蛇に変化したものであった。怒った大蛇は虚空蔵さんを追いかけ始めた。驚いた虚空蔵さんは被っていた笠を脱ぎ捨てて走って逃げ出した。喉が渇き、近くの農民に水を求めたが断られ、止むを得なく近くの自噴井戸の水を飲み、さらに逃げた。しかし大蛇は追いかけていった。やがて虚空蔵さんは、金生山の岩屋の中に逃げ込んだ。大蛇は岩屋ごと締め付け始める。岩屋が崩れかけたとき、虚空蔵さんは、「そなたを私より高い位置にお祀りする。だから助けてくれ」と叫んだ。すると大蛇は締め付けを止め、何処へと消えていったという。大蛇は蛇王権現として、明星輪寺の鎮守として祀られている。

虚空蔵さんが笠を脱ぎ捨てたの土地が、笠縫(安八郡笠縫村、現 大垣市)、自噴井戸の水を飲んだ土地が、河間(安八郡河間村、現 大垣市)であるとされている。

脚注

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  1. ^ 木造地蔵菩薩半跏像”. 岐阜県. 2013年5月15日閲覧。
  2. ^ 木造金剛力士立像”. 岐阜県. 2013年5月15日閲覧。
  3. ^ 梵鐘 銘明徳二二癸酉年三月十二日”. 岐阜県. 2013年5月15日閲覧。
  4. ^ 石造如法経碑石”. 岐阜県. 2013年5月15日閲覧。
  5. ^ 算額”. 岐阜県. 2013年5月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 指定文化財一覧表(地域別)大垣地域南部”. 大垣市文化財保護協会 (2009年8月1日). 2013年5月15日閲覧。

外部リンク

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