隋代が成立すると当初は2郡4県を管轄した。605年(大業元年)、蔡州及び昇州が廃止され、昌州に統合された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い舂陵郡と改称され、下部に7県を管轄した。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||||||
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区分 | 開皇元年 | ||||||
州 | 昌州 | 蔡州 | 湖州 | ||||
郡 | 広昌郡 | 安昌郡 | 蔡陽郡 | 千金郡 | 昇平郡 | 洞川郡 | 襄城郡 |
県 | 広昌県 清潭県 |
舂陵県 豊良県 |
蔡陽県 双泉県 |
瀴源県 | 湖陽県 柘林県 |
鍾離県 | 上馬県 |
区分 | 大業3年 | ||||||
郡 | 舂陵郡 | ||||||
県 | 棗陽県 清潭県 舂陵県 蔡陽県 湖陽県 上馬県 |
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