旧御射山遺跡

長野県諏訪市にある遺跡

旧御射山遺跡(もとみさやまいせき)は長野県諏訪市八島ケ原湿原内に存在する鎌倉時代の遺跡。旧御射山神社諏訪大社下社奥宮。

概要

編集

旧石器時代霧ヶ峰高原付近には人が居住していたとされる(八島遺跡:黒曜石の石器が大量出土)。

時代は下り、鎌倉時代の素焼き土器(かわらけ:神事等に用いる使い捨ての土器)や、陶器・古銭等が多数出土の旧御射山遺跡(南北370m/東西270m)。

諏訪大明神(軍神)を祀る御射山祭が開かれ、諏訪・甲斐を中心に関東一円の武士団や幕府重臣が集い、小笠懸,相撲,草鹿,武者競馬等の奉納試合を行った[1]。丘を削って何段もの桟敷が設けられ、10万人とも言われる人数が見物に集まったと言われる(諏訪大明神絵詞)。

発掘当初は競技場跡とされたが、遺跡中央より大祝(おおほうり)の宿舎・神殿が出土した事により、祭祀遺跡である事が明らかとなった[2]

霧ヶ峰有料道路 建設計画と市民運動

編集

1968年に長野県企業局より示された霧ヶ峰有料道路建設計画では、旧御射山遺跡の中心を道路が貫く予定とされた。地元では八島ケ原湿原と旧御射山遺跡を守る市民運動が活発化し、新田次郎(作家)や藤森栄一(考古学者)も加わり、予定ルートの変更(遺跡の迂回)が実現した[3]

関連項目

編集

脚注

編集
  1. ^ 旧御射山遺跡諏訪市博物館.2021年3月25日閲覧。
  2. ^ 早稲田大学 1965
  3. ^ 美ヶ原の歴史美ヶ原観光連盟.2021年3月25日閲覧。

参考文献

編集
  • 『信濃武士 鎌倉武士を創った人々』著:宮下玄覇(宮帯出版社 2012)
  • 霧の子孫たち』著:新田次郎(文芸春秋1970)