旧北岡田家住宅

岐阜県の民家

旧北岡田家住宅(きゅうきたおかだけじゅうたく)は、岐阜県揖斐郡大野町にある明治時代から大正時代農家の建物。主屋、離れ、米蔵、道具蔵、東納屋、北納屋が国の登録有形文化財に登録され[1][2]、庭園、表門、塀が大野町指定史跡に指定されている[1]

旧北岡田家住宅
所在地 岐阜県揖斐郡大野町大字相羽字村通282
位置 北緯35度27分18.4秒 東経136度38分5.1秒 / 北緯35.455111度 東経136.634750度 / 35.455111; 136.634750座標: 北緯35度27分18.4秒 東経136度38分5.1秒 / 北緯35.455111度 東経136.634750度 / 35.455111; 136.634750
類型 農家
建築年 1916年(大正5年)※主屋
文化財 国の登録有形文化財2012年平成24年)8月13日登録
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旧北岡田家 住宅の位置(岐阜県内)
旧北岡田家 住宅
旧北岡田家
住宅
位置図

概要

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江戸時代大野郡相羽村庄屋や段木[3]御用の土場船方取締をつとめ、明治時代には戸長をつとめ、会社を経営していた大地主の岡田家の住宅である。この地域の有力者の岡田家は2軒あり、「北岡田家」と「南岡田家」と称された。ここで記述するのは「北岡田家」の住宅である[1]

敷地面積は3,882.6平方メートル。庭園、主屋、離れ、米蔵、道具蔵、納屋等で構成されている。5代当主の岡田善麿(1874年生まれ。1928年時点では農家、谷汲鉄道取締役)[4]が建てた邸宅である。

年に数回一般公開、特別公開が行われている。

建物概要

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主屋

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国の登録有形文化財2012年(平成24年)8月13日登録。1916年(大正5年)竣工の切妻造瓦葺2階立の建物。正面東寄りに来客用の玄関として、入母屋造の式台玄関があるのが特徴。建築面積は432平方メートル[5][6]

離れ

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国の登録有形文化財。2018年(平成30年)11月2日登録。明治前期(1891年濃尾地震以前)に竣工[7]。主屋西側に接続する切妻造桟瓦葺の建物。建築面積は90平方メートル[7][8]

米蔵

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国の登録有形文化財。2018年(平成30年)11月2日登録。1905年(明治38年)竣工の切妻造桟瓦葺2階建の土蔵。1897年(明治29年)に西濃地区を襲った洪水を教訓として、玉石積の石垣の上に築かれている。建築面積は83平方メートル[9][10]

道具蔵

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国の登録有形文化財。2018年(平成30年)11月2日登録。1904年(明治37年)竣工の切妻造桟瓦葺2階建の土蔵。1934年(昭和9年)増築[11]。長い蔵であるが、実際は2つの蔵(東蔵、西蔵)を一体化した屋根にした蔵である。建築面積は137平方メートル[11][12]

東納屋

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国の登録有形文化財。2018年(平成30年)11月2日登録。大正時代後期竣工の切妻造瓦葺2階建の納屋[13]。中は馬屋、大工部屋、味噌部屋、薪部屋となっている。建築面積は116平方メートル[13][14]

北納屋

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国の登録有形文化財。2018年(平成30年)11月2日登録。1928年(昭和3年)竣工の切妻造瓦葺2階建の納屋。中は穀物部屋、漬物部屋、馬屋となっている。建築面積は98平方メートル[15][16]

表門

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大野町指定史跡。2003年(平成15年)10月20日指定。1909年(明治42年)竣工の瓦葺の造門[1]

大野町指定史跡。2003年(平成15年)10月20日指定。1912年(明治45年)着工し、1914年(大正3年)に完成した塀。玉石垣とを基材とする瓦葺の板塀、ブロック積の塀、舟板貼の塀があり、大野町史跡のものは瓦葺の板塀のみである[1]

庭園

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大野町指定史跡。2003年(平成15年)10月20日指定。1911年(明治44年)着工し、1913年(大正2年)に完成した庭園。広さは約1300平方メートル。池、築山、滝などを設置し、数百の庭石、灯台躑躅などの約150本の樹木、16基の石燈籠が配されている[1]

利用案内

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  • 所在地:岐阜県揖斐郡大野町大字相羽字村通282
  • 開館時間:10:00 - 16:00
  • 開館日:年に数回(主に土日)の一般公開、特別公開

交通アクセス

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公共交通機関

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  • 岐阜バス大野忠節線、真正大縄場線「相羽」バス停下車、徒歩約12分

周辺施設

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脚注

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関連項目

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外部リンク

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