旧ワサ・ダウン住宅
香川県高松市の四国村にある異人館
旧ワサ・ダウン住宅は香川県高松市の四国村(四国民家博物館)にある異人館。
旧ワサ・ダウン住宅 | |
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外観 | |
所在地 | 香川県高松市屋島中町字山畑91番地 |
位置 | 北緯34度20分39.53秒 東経134度6分32.75秒 / 北緯34.3443139度 東経134.1090972度座標: 北緯34度20分39.53秒 東経134度6分32.75秒 / 北緯34.3443139度 東経134.1090972度 |
旧所在地 | 兵庫県神戸市生田区北野町 |
類型 | 異人館 |
形式・構造 | 木造2階建、寄棟造、桟瓦葺 |
延床面積 | 111m2 |
建築年 | 1905年(明治38年) |
文化財 | 主屋、正門、東門(以上は登録有形文化財) |
所在施設・区域 | 四国村 |
概要
編集英国海軍軍艦 H.M.S.Iron Duke にて1873年10月27日に長崎に上陸した英国軍人ウィリアム・ダウン(William Down Sr.)[1]の自邸として1905年(明治38年)、神戸市の北野町に建設された木造2階建の西洋館である。外壁下見板張のコロニアルスタイルという、いわゆる異人館の様式である。
竣工年にウィリアム・ダウンが死去したため、ウィリアム・ダウンと結婚した長崎の丸勢兵太郎の娘、丸勢ワサという日本人女性の名前によりワサ・ダウン住宅として呼ばれるようになった。
1944年(昭和19年)から1975年(昭和50年)まで日本郵船の船員寮東棟として使用され(西棟は現みなと異人館)、このときまでに階段位置の変更など内部に改造が加えられている。日本郵船の寄贈により1976年(昭和51年)に現在地である四国村に移築され、神戸市の指導によって建設当初の姿に復元された。現在は1階を喫茶室「ティールーム 異人館」[2][3]、2階を事務室として活用されている。
なお、玄関前の羊飼像とガーデンテーブル・チェアは19世紀にハンプシャーのマナーハウスで使用されていたもので、ガス灯とポストはチェルシーで使用されていたもの。
四国村のワサ・ダウン邸はウィリアム・ダウンが亡くなった1905年に神戸・北野に建てられた家でワサが73歳で亡くなるまで住んでいたと云われる。ワサは熱心なキリスト教信者で洗礼名をモニカ(Monica)と称し、ウィリアムとの間に5人の息子と3人の娘をもうけた。ダウン・ファミリーは、日本の神戸・横浜・品川、また米国、カナダ、イギリス、オランダ、その他の国で存続している。
建築概要
編集- 設計 - 不詳
- 竣工 - 1905年(明治38年)
- 構造 - 木造、地上2階建て、寄棟造、桟瓦葺き、下見板張り、1階正面吹放し、2階正面ベランダ
- 建築面積 - 111m2
- 所在地 - 香川県高松市屋島中町96 四国村内
- 旧所在 - 兵庫県神戸市生田区北野町
文化財
編集利用情報
編集- 所在地 - 〒761-0112 香川県高松市屋島中町字山畑91番地
- 開村時間 - 4月~10月は8:30~17:00、11月~3月は8:30~16:30
- 閉村日 - 年中無休
交通アクセス
編集脚注
編集- ^ ウィリアム・ダウン - 1849年10月8日~1905年2月20日、55歳で神戸にて死す。英国Devon出身。
- ^ 四国村 |お食事・休憩(2017年9月21日閲覧)
- ^ 四国村 |tea room 異人館(2017年9月21日閲覧)
- ^ 香川県内の登録有形文化財 香川の文化財一覧 文化遺産の継承 生涯学習・文化財課 香川県教育委員会(2017年9月21日閲覧)
- ^ 四国村異人館ワサ・ダウン住宅 | 文化遺産オンライン(2017年9月21日閲覧)
- ^ 四国村異人館ワサ・ダウン住宅正門 | 文化遺産オンライン(2017年9月21日閲覧)
- ^ 四国村異人館ワサ・ダウン住宅東門 | 文化遺産オンライン(2017年9月21日閲覧)