旦ノ島村
旦ノ島村(だんのしまむら)は、かつて岐阜県厚見郡にあった村である。文献によっては「旦嶋村」「旦島村」とも表記される。
だんのしまむら 旦ノ島村 | |
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廃止日 | 1897年4月1日 |
廃止理由 |
合併 近島村、池ノ上村、北島村、萱場村、菅生村、西中島村、江口村、早田村、東島村、旦ノ島村 → 島村 |
現在の自治体 | 岐阜市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 岐阜県 |
郡 | 厚見郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
797人 (震災誌[1]、1891年) |
隣接自治体 |
厚見郡萱場村、北島村、西中島村 方県郡木田村、下尻毛村、一日市場村 |
旦ノ島村役場 | |
所在地 | 岐阜県厚見郡旦ノ島村 |
座標 | 北緯35度26分13秒 東経136度43分12秒 / 北緯35.43706度 東経136.72008度座標: 北緯35度26分13秒 東経136度43分12秒 / 北緯35.43706度 東経136.72008度 |
ウィキプロジェクト |
概要
編集かつては3つに分かれて流れた長良川のうち、現在の長良川本川(井川)と、早田川の位置を流れた分派川の1つ(異説はあるが、以下本項目では「長良古川」とする。)に挟まれた島であったが、1933年(昭和8年)からの長良川改修工事で分派川は締め切られている。現在は長良川と伊自良川に挟まれた地域である。瓢箪型の「島輪中」の北西端に位置した。現在の岐阜市旦島、旦島中、旦島中町、旦島西町、旦島宮町、宮浦町、明神町、守口町に該当する。
村名は、伊自良川と鳥羽川が合流してから長良古川に合流する25町(約2700m)を旦川(だんのがわ)と称したことによるとされ[2]、長良古川との合流点は旦島の北端にあたる[3]。集落は村の中央付近にあり、本郷・宮(宮前村)・更屋敷の3つに分かれ[4]、いずれの集落も微高地(自然堤防)上に位置する[5]。
1567年(永禄10年)11月に織田信長が家臣の坂井利貞(坂井文助)と山田七郎五郎に宛てた朱印状には「旦嶋」と記されていた[6][7]。
江戸時代初期の『慶長郷帳』に旦ノ島村とあり、石高は440石余。1616年(元和2年)の『美濃国村高領知改帳』、1645年(正保2年)の『正保郷帳』では480石7升で畑方のみだった。当初は加納藩領で、同藩の『家中知行渡方帳』によると家臣10名の給地。1755年(宝暦5年)幕府領、1775年(安永4年)大垣藩預所となり幕末に至る[8]。1834年(天保5年)の『天保郷帳』では石高は593石1斗9升4合3勺で[9]、『旧高旧領取調帳』も1868年(明治元年)時点の石高は593石1斗9升4合3勺とする[10]。
1751年(宝暦元年)、方県郡木田村地先の長良古川の河川敷跡が開発され、所属を巡って当村と木田村及び下尻毛村との間で争論(境相論)となる。1805年(文化2年)の『年貢取立方出入願書』によると、当村に下尻毛村62石余、木田村57石余の入作地があり、当村が年貢取り立てを強化したため、両村と争論が発生している[8]。
1875年(明治8年)の『美濃国民俗誌稿』によると、農業専業の地で農耕・養蚕に努めるが、住民の一割は農業の閑暇に商売を行い、江戸時代には頭百姓・脇百姓の区別が激しかったとある。名産は干大根(守口大根)で、1881年(明治14年)の反別は、田2町5反余(約2.5ha)・畑27町1反余(約27ha)・宅地8町9反余(約9ha)、家数185・人数856人[8]。
1897年(明治30年)4月1日、「島輪中」内の10村が廃置分合(合併)して稲葉郡島村の一部となり[11]、同村の大字となる。
歴史
編集- 1567年(永禄10年)11月 - 織田信長は旦嶋(旦島)のうち坂井利貞に20貫文[6]、山田七郎五郎に10貫文の知行を与える[7]。
- 江戸時代初期 - 加納藩領で石高は480石7升[12]。
- 1755年(宝暦5年) - 幕府領となる。
- 1775年(安永4年) - 大垣藩預所となる。
- 1873年(明治6年)4月 - 大区小区制の岐阜県内管内区画を改正して12大区175小区に分割。旦ノ島村は第1大区8小区に属する[9]。
- 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制施行により、自治体としての旦ノ島村が発足。
- 1897年(明治30年)4月1日 - 厚見郡近ノ島村、池ノ上村、東島村、北島村、萱場村、早田村、菅生村、江口村、旦ノ島村及び西中島村を合併し、その区域と池ノ上村と岐阜市大字稲束との論地(中央以北)、近ノ島村と岐阜市大字稲束との論地(中央以西)、東島村と岐阜市大字稲束と岐阜市大字今泉の論地(中央以西)との区域を以て島村が発足[11]。同日旦ノ島村廃止。
教育
編集- 旦島尋常小学校 - 岐阜市立島小学校の前身校の一つ。
神社・仏閣
編集脚注
編集- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1980.
- ^ 平凡社地方資料センター 1989, pp. 499、501.
- ^ 伊自良川に架かる松尾橋(岐阜市道宮浦線)から約70m東寄りの、旦島、木田、則武(則武西)の境界付近に当たる。
- ^ 平凡社地方資料センター 1989, p. 499.
- ^ 国土地理院『治水地形分類図』「北方」
- ^ a b 「尾張坂井利貞宛朱印状」『坂井遺芳』。「天下布武」の朱印状の初見。
- ^ a b 「尾張山田七郎五郎宛朱印状」『反町文書』
- ^ a b c 平凡社地方資料センター 1989, p. 500.
- ^ a b 平凡社地方資料センター 1989, p. 1083.
- ^ 旧高旧領取調帳データベース「旦島村」、国立歴史民俗博物館
- ^ a b 明治30年3月31日岐阜県告示第58号。『岐阜県令達全書. 明治30年』 - 国立国会図書館デジタルコレクション(岐阜縣知事官房、1898年(明治31年)10月18日発行)、167頁。
- ^ 岡田文園著『新撰美濃志』 - 国立国会図書館デジタルコレクション(一信社出版部、1931年(昭和6年)12月20日発行)、379頁
- ^ 神明神社、岐阜県神社庁公式ホームページ
- ^ 神明神社が隣接地の無償譲与を受けて、秋葉神社を境内社に移転。
参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 21 岐阜県』角川書店、1980年9月1日。ISBN 4-04-001210-0。
- 平凡社地方資料センター『岐阜県の地名』 21巻、平凡社〈日本歴史地名大系〉、1989年7月14日。ISBN 4-582-49021-2。
- 岐阜県市町村合併等経過一覧表 - ウェイバックマシン(2014年8月8日アーカイブ分)、岐阜県地域計画局市町村室、1頁
関連項目
編集外部リンク
編集- 陸地測量部 (1893年11月29日). “二万分一地形図「岐阜」”. 今昔マップ on the Web. 2021年2月11日閲覧。