日蔵(にちぞう、905年? - 967年? [注 1][1])は、平安中期の修験者真言密教如意輪寺開基した。または、道賢とも称されたという。

三善清行の子とされる。兄弟に浄蔵がいる[注 2]。また、『源平盛衰記』では朱雀天皇落胤としている。初名は道賢[2]916年2月に12歳のときに金峯山椿山寺で剃髪 [注 3]し、穀物を断って修行に励んだ。延喜年間に如意輪寺を開基し、後に山城国東寺に住み[3]、次いで大和国の室生山龍門寺に住んで「学問は真言を究め、神験極まりなかった」(『本朝神仙伝』)という。なお、本朝神仙伝では、老年になっても幼い顔のままであったといい、老年になって前世に埋めた鈴杵を掘り当てたので「前世と今世を知る人物」としている[4]。万秋楽は日蔵がから伝えた曲とされる [注 4]

修行の際、吉野山の中でに遭遇したとか、金峯山浄土で雷神鬼王などの異形の配下を伴って現れた菅原道真と言葉を交わしたとか伝説の多い人物である[5]

鳳閣寺には、日蔵上人坐像が安置されている。

脚注

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注釈

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  1. ^ 901年? - 985年?とも、また、本朝神仙伝では100歳以上生きたともされており諸説がある。
  2. ^ 三善清行の父・三善氏吉の子ともされる。
  3. ^ 真言伝では16歳とする。
  4. ^ 他説では、日蔵が蔵王権現の導きで兜率天内院へ行き、そこで聞き伝えた曲が万秋楽であるともいう。

出典

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  1. ^ 志村有弘「ご落胤人物事典(歴史編)」『天皇家歴史大事典』新人物往来社、2000.9.21、p207
  2. ^ 『平安時代史事典 本編下 たーを』角川書店、1994.4.10、p1853
  3. ^ 井上光貞ほか校注『往生伝・法華験記』(日本思想大系 7)岩波書店、1974.9.25、p274
  4. ^ 『平安時代史事典 本編下 たーを』角川書店、1994.4.10、p1721
  5. ^ 『平安時代史事典 本編下 たーを』角川書店、1994.4.10、p1721

参考文献

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  • 原田敏明ほか訳『日本霊異記』平凡社ライブラリー、2000.1.24
  • 「道賢上人冥土記」『平安時代史事典 本編下 たーを』角川書店、1994.4.10、p1721
  • 「日蔵」『平安時代史事典 本編下 たーを』角川書店、1994.4.10、p1853

外部リンク

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