日禎

戦国時代、安土桃山時代の日蓮宗の高僧

日禎(にっしん、永禄4年(1561年) - 元和3年(1617年))は戦国時代安土桃山時代日蓮宗高僧藤原北家日野氏流、広橋国光の子。兄弟に広橋兼勝日野輝資。究竟院。本圀寺(当時は本國寺といった)16世、後に常寂光寺開山。

日禎
永禄4年(1561年) - 元和3年(1617年
尊称 日禎
生地 山城国
宗派 日蓮宗
寺院 久遠寺
常寂光寺
方広寺
テンプレートを表示

生涯

編集

広橋国光の子として生まれる。幼い頃、本國寺15世日栖の門に入り、18歳にして同寺16世となる。文禄4年(1595年)、豊臣秀吉が建立した方広寺大仏殿(京の大仏)千僧供養に不受不施義の教義を守って出仕しなかった[1]

文禄5年(1596年)4月に本國寺を発ち、開祖の日蓮佐渡の霊跡を巡拝した。同年、京に戻ると小倉山常寂光寺を開山して隠棲した[2]

京の町衆に篤く信頼されており、豪商角倉了以が嵯峨の小倉山の土地を寄進した。のちに了以の大堰川改修工事を支援している。

元和3年(1617年)、死去。

脚注

編集
  1. ^ 1980年,淡交社『京都の社寺』
  2. ^ 1972年,星光社『路第5巻』