日本シリーズ (囲碁)
囲碁の棋戦日本シリーズ(にほんシリーズ)は、1973年と1976年に、日本テレビ主催により、タイトル保持者によるリーグ戦として行われた。
第1期
編集5名によるリーグ戦で行われ、石田芳夫が優勝した。
第2期
編集 出場者/相手
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坂田
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石田
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林
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趙
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大竹
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勝
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負
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順位
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坂田栄男 | - | × | ○ | ○ | ○ | 3 | 1 | 1 |
石田芳夫 | ○ | - | × | ○ | × | 2 | 2 | 2 |
林海峰 | × | ○ | - | × | ○ | 2 | 2 | 2 |
趙治勲 | × | × | ○ | - | ○ | 2 | 2 | 2 |
大竹英雄 | × | ○ | × | × | - | 1 | 3 | 5 |
- 坂田の会心作 1976年2月8日 趙治勲七段-坂田栄男九段(先番)
1970年代以降も坂田は多くのタイトルを獲得し、特に早碁棋戦では、NHK杯、早碁選手権戦や、新たに創設された日本アジア航空杯、日本シリーズ、NEC杯などでも優勝を重ねた。第2期日本シリーズでは、3勝1敗で優勝。対趙治勲戦では、白番趙が右下で白△とえぐりにきて、白10までと突き抜いたが、黒12のノゾキが厳しい反撃で、これに白17にツグと、黒16から右辺と下辺のどちらかの白石を切断する手が生じる。このため黒22までと下辺を取り込む分かれとなり、黒優勢となった。このあと黒は上辺の黒石、左辺の黒石も巧妙にしのぐなど、巧妙な打ち回しで大差の勝利とした。この1975年から78年にかけて、趙は坂田に12連敗中であり、「坂田コンプレックス」とも言われた。
参考文献
編集- 坂田栄男『炎の坂田血風録 不滅のタイトル獲得史』平凡社 1986年
- 『囲碁年鑑』日本棋院