日曹コンツェルン
日本の財閥
(日曹 コンツェルンから転送)
歴史
編集中野友禮が大学時代に食塩電解法によるソーダ製造に成功し特許を取得。その技術を元に、1918年には京城府に日曹朝鮮鉱業株式会社、1920年には日本曹達株式会社を設立[1]。好景気、株式公開の資金を元にソーダ生産企業を傘下におさめていき事業を拡大していく。
日本曹達の出資先に、葡萄鉱山株式会社(1917年設立)、日曹製作所株式会社(1925年)、興亞石油株式会社(1933年)、九州曹達株式会社(1935年設立)、日曹鉱業株式会社(1937年)、日本水素鉱業株式会社(1937年)、株式会社大和金属工業所(1938年)、魚油配給統制会社(1938年)、曹達工業薬品配給株式会社(1942年)[2]。
しかし、1930年代後半には急速な成長による組織の未整備、借入金の増大などで事業が悪化。中野は退陣し、政府主導による事業統合などにより事実上の解散。敗戦後、占領軍の財閥解体の指令により正式に解体された。
解体後
編集現在事業を継承している会社は日本曹達、大平洋金属、興人(三菱商事グループ)、日曹金属化学、日曹油化工業(丸善石油化学グループ。現在は丸善石化に合併)、三和倉庫(日本曹達グループ)、三菱伸銅(三菱系列・現在は三菱マテリアルに合併)など。
脚注
編集- 出典
- ^ 帝国興信所 1941, p. 59.
- ^ 帝国興信所 1941.
参考文献
編集- 下谷政弘「大正期ソーダ業界と日本曹達の成立 - 日曹コンツェルン形成史(1) -」『經濟論叢』第127巻第2-3号、京都大學經濟學會、1981年2月、141-171頁、CRID 1390290699819220352、doi:10.14989/133864、hdl:2433/133864、ISSN 0013-0273。
- 下谷政弘「日本曹達の工場展開 - 日曹コンツェルン形成史(2) -」『經濟論叢』第130巻第1-2号、京都大學經濟學會、1982年7月、21-49頁、CRID 1390853649772711936、doi:10.14989/133938、hdl:2433/133938、ISSN 0013-0273。
- 下谷政弘「日本曹達から日曹コンツェルンへ - 日曹コンツェルン形成史(3) -」『經濟論叢』第134巻第1-2号、京都大學經濟學會、1984年7月、28-56頁、CRID 1390853649772733696、doi:10.14989/134039、hdl:2433/134039、ISSN 0013-0273。
- 帝国興信所「日曹朝鮮鉱業株式会社」『帝国銀行会社要録』《昭和17年30版》帝国興信所、1941年 。