沖縄国体日の丸焼却事件
沖縄国体日の丸焼却事件(おきなわこくたいひのまるしょうきゃくじけん)は、1987年(昭和62年)10月26日に沖縄県で開催された第42回国民体育大会のうちの少年男子ソフトボール競技会の開始式において、掲揚された日の丸旗を知花昌一が引き降ろして燃やした事件。当時は日本の国旗について法整備がされておらず、第一審判決についてマスコミが「日の丸を国旗と認める初の司法判断」として報道したこと[注釈 1]、控訴審では、沖縄戦における集団自決を始めとする沖縄の歴史と現状への認識について、日の丸を焼却した行為が表現行為(象徴的表現)であるかどうかが焦点とされたことから各方面で大きな反響を呼んだ[2][4]。
表題のほか、報道や文献により、「日の丸事件[5][6]」、「日の丸焼却事件[7]」、「日の丸焼き捨て事件[8][9]」、「日の丸引き降ろし事件[10]」、「日の丸引き降ろし・焼き捨て事件[11]」、「日の丸引き降ろし焼却事件[12]」、「焼き捨てられた日の丸事件[13]」などの別の表記がある。
概要
編集1987年(昭和62年)10月、沖縄県で第42回国民体育大会が行われた際、少年男子ソフトボール競技会の会場となった読谷平和の森球場での開会式において、知花昌一が諸旗掲揚台兼スコアボードに掲揚された日の丸旗を引き降ろして焼き捨てた。
検察官は器物損壊罪などで起訴したが、知花は起訴状に「国旗」と書かれていることに対し、日本の国旗について法制化されていないことから訴因不特定として無罪を主張した。裁判では、検察官が公訴事実において器物損壊罪の対象物として記載した「国旗」は「日の丸旗」を指すと理解できるとした上で、建造物侵入罪・器物損壊罪・威力業務妨害罪の3つの罪を認めて有罪判決を下した。
経緯
編集1984年(昭和59年)7月4日、第42回国民体育大会(以下「沖縄国体」)は、日本体育協会・文部省・沖縄県(以下「主催者」)が主催となって1987年(昭和62年)に開催されることが決定された[14]。このうち、ソフトボール競技は、主催者と読谷村・恩納村・嘉手納町・北谷町の4町村の主催、日本ソフトボール協会の主管により実施されることになった[14]。読谷村では少年男子ソフトボール競技会が開催されることになり、読谷村はその運営のため、7月20日に読谷村村長・山内徳信を会長とする「第42回国民体育大会読谷村実行委員会」(以下「読谷村実行委員会」)を設立した[14]。
『国民体育大会開催基準要項』(以下「『基準要項』)によると、「大会の開始式については国旗掲揚として日の丸旗の掲揚を必ず取り入れるものとする」とされていたが、各競技別の開始式については、「競技の開始に先立って簡単な開始式を行うことができ、その方法については別に細則で定める」とされていた[15]。『国民体育大会開催基準要項細則』(以下「『細則』」)には、各競技別の開始式について可能な限り簡素なものとし、その内容は、(1)競技会会長開会の挨拶、(2)会場地代表挨拶、(3)大会会長トロフィー返還の3つが定められており、国旗掲揚は取り入れられていなかった[15]。ただし、これまでの国民体育大会においては、各競技別の開始式でも国旗掲揚を行うことが慣行となっていた[15]。1986年(昭和61年)1月24日に沖縄県実行委員会の常任委員会で決定された『沖縄国体開始式・表彰式実施要項』では、基本方針として、「各競技会の開始式と表彰式は、『基準要項』・『細則』に基づき、会場地市町村実行委員会が当該競技団体と協議のうえ実施する」と定め、式典内容として開始式の中には「国旗掲揚」が取り入れられた[15]。読谷村実行委員会はこれを受けて、日本ソフトボール協会と協議の上、開始式等の実施要領を定め、その運営に当たることとなった[14]。
1986年(昭和61年)7月、日本ソフトボール協会会長・弘瀬勝は、沖縄国体のリハーサルとして行われたソフトボール大会後のパーティーの席で、日の丸旗の掲揚について問題が起こるかも知れないとの説明を受けた[14]。そこで、弘瀬は山内に対して日の丸旗の掲揚が慣行どおり行えるかどうか確認し、山内から「最大限努力します。」という旨の回答を受けた上で、問題が起こった場合には連絡してほしいという旨を伝えた[14]。山内は、日の丸旗の掲揚については、沖縄国体を開催する以上やむを得ないと考えていたが、同年12月の読谷村議会において「日の丸掲揚、君が代斉唱の押しつけに反対する要請決議」が採択されたり、同時期に日の丸旗掲揚や君が代斉唱の強制に反対する旨の署名が8000名以上(村民の約3割)から集められたりしたことを踏まえて、山内は日の丸旗の掲揚をせずに競技会の開始式を行いたいと考えるようになった[16]。しかし、協議しても受け入れられないだろうと考えて、弘瀬には事情を伝えることなく、開催日が迫ってから、山内は日本ソフトボール協会の下部組織である沖縄県ソフトボール協会の理事長に、日の丸旗の掲揚をせずに競技会の開始式を行う方針を伝えた[16]。それを知った弘瀬は、今になってから上部組織にあたる日本体育協会の意向に反して日の丸旗の掲揚をせずに開始式を行うことはできず、また、早急に結論を出す必要があると考え、1987年(昭和62年)10月22日に山内に対して、日の丸旗を掲揚しなければ会場変更もあり得るという旨を電話で伝えた[16]。これを受け、読谷村実行委員会で協議を重ね、10月23日には、日の丸旗は掲揚するとの結論が出され、弘瀬もこれを了承した[16]。そして、10月24日に、マスコミや関係者に対して、開始式において日の丸旗を掲揚することで話し合いがついたことが公表された[16]。
上記の事情を知り、弘瀬の強硬な申し入れによって日の丸旗の掲揚を押し付けられたと思った知花昌一は、日の丸旗の掲揚が行われれば読谷村民の意思が踏みにじられると感じ、開始式で仲間と共に日の丸旗反対を表明する横断幕を掲げ、日の丸旗が掲揚された場合には単独でこれを引き降ろそうという考えに至った[16][注釈 2]。
1987年(昭和62年)10月26日午前9時頃、知花が読谷平和の森球場において競技会の開始式の様子を見ていたところ、諸旗掲揚台兼スコアボード(以下「スコアボード」)に設置されたセンターポールに国旗として日の丸旗が掲揚されたのを確認し[注釈 3]、日の丸旗を引き降ろして再掲揚されないために燃やすことを決め、スコアボードの壁面をよじ登り、センターポールに取り付けられたロープをカッターナイフで切断した上、国旗として掲揚されていた日の丸旗を引き降ろしライターで火をつけ、球場にいる人々に見せつけてから[注釈 4]、その場に投げ捨てた[16]。
知花は、現行犯逮捕されるつもりであったが、知人に勧められて読谷平和の森球場から車で離れた[20]。午後4時から記者会見を開き、午後5時過ぎに那覇地検沖縄支部に出頭した[21]。逮捕令状が出た午後9時、器物損壊と建造物侵入の疑いで沖縄県警察に逮捕された[22][23][24]。
裁判
編集第一審
編集1993年(平成5年)3月23日、那覇地方裁判所において裁判長は、建造物侵入・器物損壊・威力業務妨害の3つの罪を認め、知花昌一に懲役1年・執行猶予3年を言い渡した[27][28]。
判旨
編集判決文では、弁護人の主張に対する判断ついて、下記のように分類しそれぞれ判示している。
- 公訴棄却の申立について
- 公訴権濫用の主張について
- 訴因不特定の主張について
- 告訴欠如の主張について
- 構成要件に関する主張について
- 威力業務妨害罪の成否について
- 建造物侵入罪の成否について
- 違法性阻却に関する主張について
- 可罰的違法性の不存在について
- 正当防衛等について
- 正当行為について
訴因不特定の主張について
編集弁護人は、「起訴状記載の公訴事実には、器物損壊罪の対象たる器物に関し『国旗』と記載しているが、わが国に国旗が存在するか否か、また、いかなる旗が国旗であるのか法制化されておらず確定していない以上、『国旗』という記載は意味不明である。また、威力業務妨害罪の対象たる業務につき競技会のいかなる業務を妨害したのかが明確にされていない。」として、本件公訴提起は訴因が不特定であるから無効であり、公訴棄却すべきである旨主張する。
国旗という用語は、法律等により国家を象徴する旗として用いるべきものと定められた旗をいう場合もあるが、この場合に限らず、事実上国民の多数により国家を象徴する旗として認識され、用いられている旗をいう場合もある。現行法制上、日の丸旗をもってわが国の国旗とする旨の一般的な規定が存しないことは弁護人が指摘するとおりである。しかし、船舶法等では、一定の船舶に国旗を掲揚すべきことなどが定められており、その場合に国旗として用いるべき旗については商船規則(明治三年一月二七日太政官布告第五七号)に基づき、あるいは当然の前提として日の丸旗を指していると解される。このように日の丸旗は、国際関係においては、他国と識別するために法律等により国旗として用いるべきことが定められているといえるが、他方、国内関係において国民統合の象徴として用いる場合の国旗については何らの法律も存せず、国民一般に何らの行為も義務づけていない。しかし、現在、国民から日の丸旗以外に国旗として扱われているものはなく、また多数の国民が日の丸旗を国旗として認識して用いているから、検察官が公訴事実において器物損壊罪の対象物として記載した「国旗」とは「日の丸旗」を指すと理解でき、訴因の特定、明示に欠けるところはない。したがって、訴因の不特定を理由とする公訴棄却の申立はいずれも理由がない。
威力業務妨害罪の成否について
編集弁護人は、「威力業務妨害罪について、被告人の行為は人の意思を制圧するようなものとはいえないから威力に該当しない。また、被告人の行為によって業務妨害が現実に引き起こされたことはなく、その具体的危険も発生しなかったのであるから、被告人の行為は業務妨害にも当たらない。さらに被告人には、国体そのものを妨害する意図がなかったから、故意がなかった。」旨主張する。
まず、被告人の行為が威力に当たるか否かについて検討するに、「威力」とは、人の意思を制圧するような勢力をいうところ、被告人が本件スコアボード屋上でセンターポールに取り付けられたロープをカッターナイフで切断した上、そのポールに国旗として掲揚されている日の丸旗一枚を引き降ろし、これにライターで火をつけ、これを球場内にいる人々に掲げて見せるなどし、その半分程を焼失させたことは前記認定のとおりであるが、被告人の右行為は、本件競技会に携わる者に異常な事態としてその対応を迫るものであり、また、その場で日の丸旗を直ちに再掲揚することを物理的に不可能にするものでもあって、これが本件競技会に携わる者の意思を制圧するに足りる勢力であることは明らかである。次に、……(略)……威力業務妨害罪が成立するには、現実に業務妨害の結果が発生したことを要せず、その結果を発生させるおそれのある行為をすれば足りるところ、本件妨害行為は、本件競技会に携わる者に異常な事態としてその対応を迫り、それぞれの役割分担により現実に行っている業務やそのような事態が起こらなければ行ったであろう業務に支障をきたすおそれのあるものであるから、業務妨害の結果が発生したかどうかにかかわらず、威力業務妨害罪が成立することは明らかである。……(略)……したがって、威力業務妨害罪の構成要件には該当しないとの主張は理由がない。
正当行為について
編集弁護人は、「器物損壊行為は、防衛行為、表現行為及び抵抗行為であり、手段の相当性、法益権衡、必要性及び緊急性もあるので、また、威力業務妨害行為及び建造物侵入行為は、法益侵害の軽微性、目的の正当性、手段の相当性、必要性及び緊急性があるので、いずれも正当行為として違法性が阻却される。」旨主張する。
被告人が、日の丸旗は国旗としてふさわしくなく、国旗ではないと考えるようになった所以及び右思想に基づいて本件犯行に及んだものであることは前記認定のとおりであるが、前掲関係各証拠によると、読谷村民の中には被告人と同様の思想を有する者が少なからずいたことが認められるものの、民主主義社会においては、自己の主張の実現は言論による討論や説得などの平和的手段によって行われるべきものであって、たとえ本件競技会における日の丸旗の掲揚に反対であったとしても、その主張を実現するために、前記認定のような被告人の実力行使は手段において相当なものとはいい難く、これが正当行為であるといえないから、右主張は理由がない。
控訴審
編集1993年(平成5年)4月5日、判決を不服として知花が福岡高等裁判所那覇支部に控訴した[31][32]。
1995年(平成7年)10月26日、福岡高等裁判所那覇支部において裁判長は控訴を棄却し、知花が上告しなかったことにより裁判は終結した[33][34]。
判旨
編集判決文では、弁護人の主張に対する判断ついて、下記のように分類しそれぞれ判示している。
- 法令解釈の基礎となる前提事実の誤認の主張について
- 訴訟手続の法令違反の主張について
- 法令適用の誤りの主張について
- 威力業務妨害罪の構成要件に該当しないとの主張について
- 建造物侵入罪の構成要件に該当しないとの主張について
- 可罰的違法性の不存在の主張について
- 正当防衛又は緊急避難の主張について
- 象徴的表現行為の主張について
威力業務妨害罪の構成要件に該当しないとの主張について
編集原判決は、被告人の本件行為について威力業務妨害罪が成立すると認定判断したが、本件行為は、本件競技会の業務に携わる者の一部がこれに主観的に対応したにすぎず、客観的にはそれらの者に何らかの対応を迫るものではなく、これによって会場に混乱が生じたこともないし、競技を開始しようと思えばいつでもできたものであり、本件競技会の開始が一五分ほど遅れたのは、日の丸旗の再掲揚を要求した弘瀬会長の言動によるものであって、本件行為とは相当因果関係がないから、「人の意思を制圧するような勢力」により業務妨害の具体的危険性が生じたとはいえず、また、被告人には本件競技会を妨害する意図は全くなく、本件行為を自己の表現行為と考えていて「威力」に当たるとの認識を欠いていたから、威力業務妨害の故意もなく、したがって、本件行為につき威力業務妨害罪は成立しないというべきであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
そこで、検討するのに、威力業務妨害罪の「威力」とは、人の意思を制圧するような勢力をいい、同罪の成立には、その威力の行使によって現実に業務妨害の結果が発生したことは必要ではなく、その結果を発生させるおそれのある行為をすれば足りると解される。……(略)……認定事実によると、被告人の本件行為は、日の丸旗の焼却に伴い直後の再掲揚を不可能ならしめるのみならず、大勢の観客が見守る中、多数の関係者により整然と行われていた本件競技会の開始式の運営上、極めて異常な事態として、その運営に携わる関係者らに対し、できる限り本件行為による影響をなくし、従前どおり開始式及びそれに続く競技会を整然と進行させるための対応ないし努力を余儀なくさせるものであり、現実にも右関係者による日の丸旗の再掲揚、会場を鎮静化するための挨拶等が行われ、競技会の開始が約一五分遅れるなどしたのであるから、本件行為をもって、本件競技会の運営に携わる者の意思を制圧する勢力の行使があったというに十分であり、かつ、それによる業務妨害のおそれも生じていたことが明らかである。開始式が本件行為後も予定どおり続行されたことは、むしろ開始式及び競技会への影響をできる限り少なくしようとした主催者及び主管者側の対応ないし努力によるものと考えられ、本件行為による影響がなかったことを示すものではない。……(略)……以上のとおり、被告人の本件行為は威力業務妨害罪の構成要件に該当するから、論旨は理由がない。
建造物侵入罪の構成要件に該当しないとの主張について
編集原判決は、被告人が本件スコアボート屋上に上がった行為をもって建造物侵入罪の成立を認めたが、本件スコアボードは、開かれた競技施設に付属するものであり、被告人の侵入態様も、当初観客も気づかなかったほどであって私生活上の平穏を定型的に害する行為とはいえないから、本件スコアボードの屋上は、いまだ建造物侵入罪が保護しようとした「建造物」の一部には該当せず、また、被告人は、日の丸旗焼却行為は正当行為であると認識しており、その正当行為の実現のために日の丸旗に近づくのであるから、被告人には「故なく」侵入するとの認識は全くなかったのであり、したがって、被告人の右行為は建造物侵入罪の構成要件には該当しないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
そこで、検討するのに、関係証拠によると、本件スコアボードは、読谷村が所有し、読谷村実行委員会が管理する読谷村平和の森球場に設置されたバックスクリーン・スコアボード兼諸旗掲揚台であり、……(略)……本件行為当時、右一階の鉄製格子戸は施錠がされていて、関係者以外そこから出入りすることは不能となっていたことが認められる。右認定事実によると、本件スコアボードが読谷村及び読谷村実行委員会の長である山内村長が看守する「建造物」に当たることは明らかであり、その屋上部分のみが「建造物」に当たらないとする理由は全くないから、本件スコアボードの屋上も「建造物」の一部として保護されるものというべきである。……(略)……また、後記のとおり、被告人の本件日の丸旗焼却行為は違法であり、このことは被告人も十分に認識していたものであるから、日の丸旗焼却行為のために建造物に侵入したからといって、その故意がないということはできない。よって、論旨は理由がない。
象徴的表現行為の主張について
編集原判決は、被告人の本件行為は表現の自由の行使であるから正当行為として違法性が阻却される旨の弁護人の主張を排斥したが、右主張を更に敷衍するならば、被告人の本件日の丸旗焼却行為は、日の丸旗の掲揚の強制に抗議し、その不当性を社会に訴える目的でされたものであり、客観的にも右目的でされたものと受け止められたものであるから、憲法二一条で保障された表現の自由に基づく象徴的表現行為に当たり、他方、これによって公共の危険は生じておらず、侵害された法益は三五〇〇円の布切れとロープの財産権にすぎず、右布切れが日の丸旗であることは特段の意味を持たないから、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであり、また、本件建造物侵入、威力業務妨害の各行為は、日の丸旗焼却行為に不可避的に付随するものであり、これと一体として評価されるべきであり、他方、それにより侵害された法益も小さく、象徴的表現行為の法益が優先されるべきであることにおいて日の丸旗焼却行為と何ら異ならないから、本件行為は全体的に象徴的表現行為に当たり、正当行為として違法性が阻却されるものであり、したがって、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあるというのである。
そこで、検討するのに、象徴的表現行為の法理は、アメリカの判例において形成された理論であり、我が国の憲法の下でこの法理が認められるか否かの問題はしばらくおき、理論的にみて、この法理の適用により被告人の本件行為が不処罰と解し得るかどうかをみることにする。……(略)……本件行為は、前記のとおり、整然と行われている本件競技会の開始式の最中に、本件スコアボード屋上に侵入し、諸旗掲揚台に掲揚されている日の丸旗を引き降ろし、これを焼き捨て、競技会の進行を妨害するなどしたというものであり、これにより、読谷村実行委員会所有の日の丸旗等の財産権、山内村長による本件スコアボード屋上の平穏な管理、日体協、文部省、沖縄県及び読谷村が主催し、日ソ協が主管する本件競技会の安全な運営がそれぞれ侵害されたものであるから、これに対し右各罰則を適用することにより、被告人の表現行為を不当に規制することにはならない。日の丸旗掲揚反対の表現活動としては言論を中心に様々なことが可能であり、関係証拠によると、現に被告人は、知人らと一緒に日の丸旗掲揚反対を訴える横断幕を作り、本件行為の当日、これを平和の森球場に用意していたことが認められるが、会場周辺において許された手段により右のような横断幕を示して観客や地元住民に日の丸旗掲揚反対を訴えることも有効な表現行為であったと考えられる。以上によると、仮に象徴的表現行為の法理に従ったとしても、本件行為は象徴的表現行為として不処罰とされるための要件を欠くものであり、これに対し右各罰則を適用することは何ら表現の自由を侵害するものではないというべきである。所論は、被告人の本件行為について、アメリカのジョンソン事件の判決と同様に解釈して、不処罰とすべきである旨主張するので、付言するのに、……(略)……ジョンソンは、テキサス州刑法の国旗冒涜罪で起訴されたが、連邦最高裁判所は、一九八九年六月、ジョンソンの行為を国旗冒涜罪で処罰することは連邦憲法修正一条が保障する表現の自由を侵害することになり許されないとして、州最高裁判所の無罪判決を維持した。この事例の場合、ジョンソンは国旗冒涜罪でのみ起訴されたのであり、右事件のとき、ジョンソンがあった法的状況は、自己所有の旗を公然と燃やしたに等しいといえるのであり、まずこの点において、被告人の本件行為とは明らかに異なっている。……(略)……この場合は、規制の目的が自由な表現の抑圧に関係するもの(表現効果規制)に当たり、表現の内容の規制に関する厳格な基準によって処罰の合憲性が判断されることとなり、連邦最高裁判所は、この厳格な基準により合憲性を審査し、右のとおり判断したものである。この点においても、非表現効果規制の場合に当たる被告人の本件行為とは大きく異なっているのであり、結局のところ、ジョンソン事件と本件とを同列に論じることはできないから、所論は採用できない。以上の次第であるから、論旨は理由がない。
影響等
編集糾弾・報復
編集1987年(昭和62年)10月28日、知花昌一の経営するスーパーに対して放火され、吊り戸や日除けが焼かれる事件が起こった[35][36]。
11月3日には、2人の男が入店し、店内の冷蔵庫やレジスターを壊して逃げる襲撃事件が起こった[37][38]。この2人のうち1人は11月12日に逮捕され、日の丸を焼き捨てたことへの反感で行ったと犯行を認めた[39]。
11月15日、読谷平和の森球場前の広場で、村民の名誉回復のために事件を糾弾する集会が開かれた[10]。
平和の像破壊事件
編集11月9日、読谷村内のチビチリガマにある「世代を結ぶ平和の像」のレリーフが壊されているのが発見された[40]。12月19日、沖縄県警察は右翼団体構成員2人を逮捕した[41]。そのうち1人は、日の丸が焼き捨てられたことに対する報復として行ったと自供した[41]。1988年(昭和63年)3月10日、2人に懲役1年が言い渡された[42]。
応援・支援
編集1987年(昭和62年)11月15日、知花とその家族、スーパーや店員を応援、支援するために、平和運動に取り組んでいる人々による買い物ツアーが行われた[10]。
逮捕妨害
編集事件当日、知花の逮捕を妨害したとして1人の男性が公務執行妨害罪で現行犯逮捕されたが、1993年(平成5年)5月27日、那覇地方裁判所において、「警察官の供述は信用できない。」として無罪となった[43]。6月10日、那覇地方検察庁が控訴を断念したことで無罪が確定した[44]。
関連書
編集- 知花昌一『焼きすてられた日の丸 基地の島・沖縄読谷から』新泉社、1988年10月。 NCID BN03083994。全国書誌番号:89006876。
- 知花昌一『焼きすてられた日の丸 基地の島・沖縄読谷から』(増補版)社会批評社、1996年5月。 NCID BN14658453。全国書誌番号:96063082。
- 知花昌一、沖縄「日の丸」裁判弁護団『控訴趣意書』[出版者不明]、1993年9月。 NCID BB25914164。
脚注
編集注釈
編集- ^ 正確には、検察官が起訴状において器物損壊罪の対象物を「国旗」と記載し、公判において「国旗とは日の丸旗のことである」と釈明したことに対して、訴因の特定の観点から「検察官が公訴事実において器物損壊罪の対象物として記載した『国旗』とは『日の丸旗』を指すと理解でき、訴因の特定、明示に欠けるところはない。[1]」と判示しただけであり、日の丸旗全般について法的意味を持つ日本の国旗であると判示したわけではない[2][3]。
- ^ 知花は、第二次世界大戦中の沖縄戦において自身の生まれ育った読谷村にあるチビチリガマで起こった集団自決について調査を勧めていく中で、日の丸旗は国民を戦争に動員するために利用されたものであり、日の丸旗は国旗にふさわしくないと考えるようになった[16]。また、10月25日にチビチリガマへ参拝に来た弘瀬の言動や態度を見て日の丸旗を引き降ろす決心をした、と自著で述べている[17]。
- ^ 知花は、事前に職員から日の丸旗と共に読谷の非核宣言の旗も上がるという話を聞き、両者を同列に扱うように掲揚されると期待していたが、日の丸旗がメインポールに上がっていたことで、日の丸が勝ち誇っているような、読谷村民の意思を押し潰して嘲笑っているように見えた、と自著で述べている[18]。
- ^ 知花は、燃えるように日の丸旗を振っただけで見せつける余裕はなかった、と自著で述べている[19]。
出典
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- ^ 「日の丸焼き捨て事件の知花代表、またスーパー襲われ店に被害」『朝日新聞』1987年11月4日、27面。
- ^ 「日の丸事件また嫌がらせ 沖縄県読谷市のスーパー店内壊す」『朝日新聞』1987年11月4日、26面。
- ^ 「沖縄・読谷村事件、スーパー襲撃の1人を逮捕」『朝日新聞』1987年11月12日、31面。
- ^ 「沖縄・読谷村の平和像粉々 国体の日の丸事件に嫌がらせ?」『朝日新聞』1987年11月9日、13面。
- ^ a b 「沖縄の「平和の像」破壊、右翼2人逮捕」『朝日新聞』1987年12月21日、13面。
- ^ 「平和の像破壊の右翼に実刑判決 那覇地裁」『朝日新聞』1988年3月10日、19面。
- ^ 「「日の丸焼き捨て」逮捕妨害 証拠不十分で無罪」『読売新聞』1993年5月27日、18面。
- ^ 「日の丸焼き捨て「逮捕妨害」 地検が控訴断念」『読売新聞』1993年6月10日、9面。
参考文献
編集- 高良鉄美「日の丸焼却と表現の自由(上)」『琉大法学』第48号、琉球大学法文学部、1992年3月、71-86頁、NAID 120001372131。
- 高良鉄美「日の丸焼却と表現の自由(下)」『琉大法学』第49号、琉球大学法文学部、1992年9月、1-23頁、NAID 120001372124。
- 「沖縄国体日の丸焼却事件第一審判決」『判例タイムズ』第815号、判例タイムズ社、1993年7月1日、114-120頁。
- 中島茂樹「沖縄国体「日の丸」旗焼却事件第一審判決」『ジュリスト』第1046号、有斐閣、1994年6月10日、14-15頁。
- 「沖縄国体日の丸焼却事件控訴審判決」『判例タイムズ』第901号、判例タイムズ社、1996年5月1日、266-277頁。
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- 中村英樹「日の丸旗焼き捨てと象徴的表現行為――沖縄国体日の丸旗焼却事件控訴審判決」『法政研究』第63巻第1号、九州大学法政学会、1996年7月21日、287-305頁、NAID 110006261799。
- 加藤大仁「スポーツとナショナル・アイデンティティー ―沖縄海邦国体「焼き捨てられた日の丸」事件を手掛りに―」『体育研究所紀要』第40巻第1号、慶應義塾大学体育研究所、2001年1月11日、31-38頁、NAID 110007148489。
- 森川恭剛「沖縄・日の丸旗焼却事件再考」『琉大法学』第67号、琉球大学法文学部、2002年3月、117-151頁、NAID 120001372072。