新山ノリロー・トリロー

新山ノリロー・トリロー(にいやま - )は日本の漫才師。当時は佐藤事務所に所属。

新山悦朗・春木艶子の弟子として1958年2月に結成。

1965年、第13回NHK新人漫才コンクールで優勝。1972年に漫才協団(現:漫才協会)第2代真打ちに昇進。並行して落語協会に入会しており、寄席の定席にも上がっていた。

1985年に解散した。

メンバー

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朝鮮の生まれ、黒縁眼鏡が特徴。解散後は一時期、宮田章司(後に江戸売り声漫談家に転向)とコンビを組んだこともあった[1]が、2021年頃まで漫談家として活動していた。晩年は白血病と闘病していた。2022年12月19日、死去[2]。86歳没。
  • 新山トリロー(にいやま-、本名:横沢栄司、1934年6月5日 - 没年不詳)
解散後は引退。飲食店を経営していた。関係者によると既に没している[3]

脚注

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  1. ^ 宮田昇司・陽司 – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections
  2. ^ “漫才コンビ「新山ノリロー・トリロー」の新山ノリローさん死去 86歳 半年前から白血病で闘病”. 中日スポーツ. (2022年12月26日). https://www.chunichi.co.jp/article/607618 2022年12月26日閲覧。 
  3. ^ 喜利彦山人 (2020年6月6日). “新山ノリロー・トリロー”. 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections. 2022年12月26日閲覧。

参考文献

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  • 「大正テレビ寄席の芸人たち」(山下武、東京堂出版)