新山ノリロー・トリロー
新山ノリロー・トリロー(にいやま - )は日本の漫才師。当時は佐藤事務所に所属。
1965年、第13回NHK新人漫才コンクールで優勝。1972年に漫才協団(現:漫才協会)第2代真打ちに昇進。並行して落語協会に入会しており、寄席の定席にも上がっていた。
1985年に解散した。
メンバー
編集- 朝鮮の生まれ、黒縁眼鏡が特徴。解散後は一時期、宮田章司(後に江戸売り声漫談家に転向)とコンビを組んだこともあった[1]が、2021年頃まで漫談家として活動していた。晩年は白血病と闘病していた。2022年12月19日、死去[2]。86歳没。
- 解散後は引退。飲食店を経営していた。関係者によると既に没している[3]。
脚注
編集- ^ 宮田昇司・陽司 – 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections
- ^ “漫才コンビ「新山ノリロー・トリロー」の新山ノリローさん死去 86歳 半年前から白血病で闘病”. 中日スポーツ. (2022年12月26日) 2022年12月26日閲覧。
- ^ 喜利彦山人 (2020年6月6日). “新山ノリロー・トリロー”. 東京漫才のすべて The tokyo manzai collections. 2022年12月26日閲覧。
参考文献
編集- 「大正テレビ寄席の芸人たち」(山下武、東京堂出版)