新宿松竹文化演芸場
新宿松竹文化演芸場(しんじゅくしょうちくぶんかえんげいじょう)は、東京新宿角筈にあった演芸場。松竹傍系の松竹第一興行が経営していた。落語定席ではなく、軽演劇と色物芸人(落語家以外の演芸人の通称)主体の興行を行っていた。
新宿松竹文化演芸場 Shinjuku Shouchiku Bunka Engeijou | |
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当演芸場が入居していた新宿松竹映画劇場[1] | |
情報 | |
正式名称 | 新宿松竹文化演芸場 |
開館 | 1958年10月28日 |
閉館 | 1962年8月12日 |
客席数 | 365席 |
用途 | 演芸、軽演劇 |
運営 | 松竹第一興行株式会社 |
所在地 |
〒160 東京都新宿区新宿3丁目15-15 |
概要
編集新宿松竹会館(東京都新宿区新宿3-15)の地下に位置した演芸場。座席数365席。石井均一座の常打ち劇場であり、若き日の立川談志(当時柳家小ゑん。落語ではなく漫談を演じていた。)や東京に進出した漫画トリオらが腕を磨いた。また野末陳平も野坂昭如と漫才コンビ(「黒メガネ漫才」)を結成して出演したことがある。
沿革
編集定紋
編集松竹マークの下に花(?)を象った紋様を重ね、その紋様下部には白抜き文字で「SHINJUKU」とローマ字が書かれていた。