新宮山古墳
新宮山古墳(しんぐうやまこふん、巨勢山708号墳)は、奈良県御所市稲宿(いないど)にある古墳。形状は円墳(一説に前方後円墳)。巨勢山古墳群を構成する古墳の1つ。奈良県指定史跡に指定されている。
新宮山古墳 | |
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墳丘・石室開口部(右奥に推定前方部) | |
別名 | 巨勢山708号墳 |
所属 | 巨勢山古墳群 |
所在地 | 奈良県御所市大字稲宿745(字新宮山) |
位置 | 北緯34度26分2.18秒 東経135度45分4.85秒 / 北緯34.4339389度 東経135.7513472度座標: 北緯34度26分2.18秒 東経135度45分4.85秒 / 北緯34.4339389度 東経135.7513472度 |
形状 | 円墳(一説に前方後円墳) |
規模 | 直径25m以上 |
埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に組合式石棺・刳抜式家形石棺) |
築造時期 | 6世紀中葉-後半 |
被葬者 | (推定)巨勢氏一族 |
史跡 | 奈良県指定史跡「新宮山古墳」 |
地図 |
概要
編集奈良盆地南縁、巨勢山丘陵から東に延びる尾根の先端部に築造された古墳である。これまでに発掘調査は実施されていない。
墳形は円形で、直径25メートル以上を測るが、北東方向を前方部とする前方後円墳の可能性もある[1]。墳丘外表で葺石・埴輪は認められていない[2]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南東方向に開口する。石室全長13.6メートルを測る大型石室であり、玄室内には奥に緑泥片岩製の組合式石棺を、手前に竜山石製の刳抜式家形石棺を据える。石室内の副葬品は詳らかでない[1]。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀中葉-後半頃と推定される[1]。巨勢谷では権現堂古墳に続く時期の築造と想定され[3]、巨勢谷を本拠地とした古代氏族の巨勢氏の首長墓の1つとして重要視される古墳になる。
古墳域は1980年(昭和55年)3月28日に奈良県指定史跡に指定されている。現在では石室内への立ち入りは制限されている。
遺跡歴
編集埋葬施設
編集埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:13.6メートル
- 玄室:長さ6.3メートル、幅2.5メートル、高さ3.0メートル
- 羨道:長さ7.3メートル、幅1.7メートル、高さ1.4メートル
石室の石材は花崗岩。玄室では奥壁・両側壁は3-4段積みとし、袖石は1石とする。
玄室内には、奥に組合式の箱式石棺を、手前に刳抜式家形石棺を据える。箱式石棺は紀の川流域産の緑泥片岩製で、板石を組み合わせて構築されており、赤色顔料の塗布が認められる。家形石棺は兵庫県加古川流域産の竜山石製で、蓋石には短辺1対・両長辺2対の縄掛突起を付す。棺身には稜の面取りが施されるほか、奥壁側には盗掘孔が開けられており、内面には赤色顔料の塗布が認められる[1]。奥棺(初葬棺)の方が格式が高いべきところ、本古墳では前棺(追葬棺)の家形石棺の方が格式が高い点で注目される事例になる[2]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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玄室の組合式石棺(奥棺)
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玄室の家形石棺(手前棺)
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家形石棺内部
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
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開口部
文化財
編集奈良県指定文化財
編集- 史跡
- 新宮山古墳 - 1980年(昭和55年)3月28日指定。
脚注
編集参考文献
編集(記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 「新宮山古墳」『奈良県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系30〉、1981年。ISBN 4582490301。
- 関川尚功「新宮山古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
関連文献
編集(記事執筆に使用していない関連文献)
- 「新宮山古墳」『奈良県指定文化財』 昭和54年度版、奈良県教育委員会、1980年。