伊香保ケーブル鉄道
(新伊香保駅から転送)
伊香保ケーブル鉄道(いかほケーブルてつどう)は、かつて群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)にあった新伊香保駅から榛名山駅に至るケーブルカー路線およびそれを運営していた鉄道会社である。
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
![]() 群馬県高崎市八島町65 |
設立 | 1928年(昭和3年)7月2日 |
業種 | 陸運業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業 |
代表者 | 社長 萩原栄治 |
資本金 | 100,000,000円 |
発行済株式総数 | 2,000,000株 |
特記事項:1966年度現在([1]) |
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||
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路線データ
編集歴史
編集伊香保温泉から榛名山のヤセオネ峠を登るケーブルカーとして1929年9月6日に関東鋼索鉄道により開業。会社設立には上毛電気鉄道社長で製紙王と呼ばれた大川平三郎が関与していた。傾斜長2,090 mは、当時愛宕山鉄道鋼索線 (2,135 m) に次ぐものであった(伊香保ケーブル鉄道廃止後は2,025 mの比叡山鉄道坂本ケーブルが日本最長となっている)。新伊香保駅までは東武伊香保軌道線(1956年廃止)の伊香保駅からバスで連絡していた。
1934年には社名が「伊香保ケーブル鉄道」に改められた。しかし、その後の太平洋戦争により不要不急線として1944年に休止され、金属類回収令のため客車、レールが撤去された[2]。
戦後、休止から18年後の1961年に運転を再開したが、輸送数は10万人程度と戦前の実績を下回り、更にはモータリゼーションの波に飲まれて輸送数は減少に転じ、並行して1962年10月に伊香保榛名有料道路(1981年に群馬県道33号渋川松井田線として無料開放)が開通したことが致命的[3]となって1966年7月13日に休止した後、同年12月19日に復活後わずか5年で廃止された。
年表
編集運行概要
編集1961年の再開時点
- 運行本数:8:30から17:30まで終日30分間隔
- 所要時間:全線11分
- 運賃:片道100円
車両
編集戦後の1961年から使われた車両は日立製作所製であった。デザインは、同じメーカーによる1959年製造の六甲ケーブル(兵庫県)や1964年製造の八栗ケーブル(香川県)の車両に酷似しており、それぞれ「いかほ」「はるな」の愛称がつけられていた。
駅一覧
編集新伊香保駅 - 榛名山駅
輸送・収支実績
編集年度 | 輸送人員(人) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) |
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1929 | 51,596 | 22,649 | 10,529 | 12,120 | 8,788 | ||
1930 | 149,521 | 66,012 | 35,355 | 30,657 | 自動車業2,694 | 39,733 | |
1931 | 109,213 | 87,661 | 37,680 | 49,981 | 自動車業4,743 | 40,327 | |
1932 | 111,165 | 54,006 | 36,714 | 17,292 | 自動車業718償却金16,000 | 228 | |
1933 | 140,829 | 64,048 | 38,686 | 25,362 | 償却金24,000 | 570 | |
1934 | 141,383 | 62,708 | 39,191 | 23,517 | 償却金22,000 | 601 | |
1935 | 153,295 | 66,855 | 43,229 | 23,626 | 償却金23,000 | 471 | |
1936 | 174,882 | 74,582 | 45,218 | 29,364 | 償却金10,000 | 9,333 | |
1937 | 147,740 | 64,821 | 44,312 | 20,509 | 償却金2,000 | 17,938 | |
1939 | 218,676 | ||||||
1941 | 291,734 | ||||||
1943 | 303,475 | ||||||
1963 | 102,852 | 19,052,713 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、私鉄統計年報各年度版、伊香保誌
関連項目
編集脚注
編集- ^ a b 運輸省鉄道監督局 監修 編「伊香保ケーブル鉄道株式会社」『私鉄要覧』 昭和41年度版、日本法制資料出版社、1966年3月30日、42頁。全国書誌番号:70009997。
- ^ a b 伊香保町教育委員会 1970, p. 293.
- ^ 平田一夫 編『群馬の鉄道資料集 : 昭和23年(1948年)以降』平田一夫、2000年3月31日、82頁。全国書誌番号:20121970。「■昭和41年8月16日■(上毛新聞) 伊香保ケーブル客なくついに運休」
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』第160号、1927年7月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「関東鋼索鉄道株式会社」『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)』商業興信所、1929年7月30日、上編165頁。doi:10.11501/1077362 。
- ^ a b 鉄道省監督局 編「伊香保ケーブル鐵道株式会社」『地方鉄道及軌道一覧』 昭和10年4月1日現在、鉄道同志会、1935年5月15日、20頁。doi:10.11501/1190630 。
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』第813号、1929年9月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 平田一夫 編『群馬の鉄道資料集 : 昭和23年(1948年)以降』平田一夫、2000年3月31日、43頁。全国書誌番号:20121970。「★昭和36年8月13日・交通新聞 17年ぶりに復旧 伊香保-榛名ケーブル」
- ^ 「年表」『東急100年史 資料編』(PDF)東急電鉄、2023年3月30日、22頁 。2024年9月7日閲覧。(東急100年史(WEB版))
- ^ 「地方鉄道運輸営業休止について」『運輸公報』第875号、運輸省大臣官房、1967年8月9日、334頁、全国書誌番号:00001975。
- ^ 伊香保町教育委員会 1970, p. 294.
- ^ 「地方鉄道運輸営業廃止について」『運輸公報』第896号、運輸省大臣官房、1967年1月10日、11頁、全国書誌番号:00001975。
参考文献
編集外部リンク
編集- 鈴木達蔵「新伊香保榛名山間鋼索鉄道工事概要」『土木建築工事画報』第6巻第3号、1930年3月、22-25頁、全国書誌番号:00017471。(土木学会附属土木図書館)