斜内駅
かつて北海道枝幸郡浜頓別町にあった日本国有鉄道の駅(廃駅)
斜内駅(しゃないえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡浜頓別町字斜内にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)興浜北線の駅(廃駅)である。電報略号はヤナ。事務管理コードは▲122002[2]。
斜内駅 | |
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しゃない Shanai | |
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所在地 | 北海道枝幸郡浜頓別町字斜内 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 興浜北線 |
キロ程 | 12.4 km(浜頓別起点) |
電報略号 | ヤナ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)7月10日[1] |
廃止年月日 | 1985年(昭和60年)7月1日[1] |
備考 | 興浜北線廃線に伴い廃駅 |
歴史
編集- 1936年(昭和11年)7月10日 - 鉄道省興浜北線浜頓別駅 - 北見枝幸駅間開通に伴い開業(一般駅)[3][4]。
- 1944年(昭和19年)11月1日 - 不要不急線指定に伴い興浜北線が前日の営業をもって鉄道運輸営業休止となったことにより[5]、営業休止[4]。
- 1945年(昭和20年)12月5日 - 興浜北線の旅客運輸営業開始(再開)に伴い、営業再開[6][4]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1960年(昭和35年)4月11日 - 業務委託駅となる[7][8]。
- 1973年(昭和48年)9月17日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止し、同時に無人駅化[9][10][11]。
- 1985年(昭和60年)7月1日 - 興浜北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
編集所在地名より[3]。アイヌ語に由来するが諸説ある。なお、アイヌ語におけるサ行とシャ行の区別は曖昧であるため、以下カタカナ表記は引用除きサ行で統一する。
駅構造
編集廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[14]。分岐器を持たない棒線駅となっていた。
無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、豊牛駅と同型の駅舎となっていた[14]。駅舎は構内の東側に位置し、ホームに接していた。
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1951年(昭和26年) | 55 | [15] | ||
1961年(昭和36年) | 51 | |||
1965年(昭和40年) | 59 | |||
1971年(昭和46年) | 41 | |||
1978年(昭和53年) | 42 | [16] | ||
1981年(昭和56年) | 8 | [15] | ||
1985年(昭和60年) | 0.5 | 同年7月に興浜北線廃止 |
駅周辺
編集駅跡
編集2000年(平成12年)時点では駅舎が残存しており、住宅に再利用されていた模様であった[18]。2010年(平成22年)時点でも駅舎は残存しており、個人所有の倉庫[19][20](別荘とも[21])に再利用されている。ホームなどは残っていない[19]。個人所有物になっているため、中に入ることはできない。
隣の駅
編集脚注
編集- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、908頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第199号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2850) .
- ^ a b c d e f g 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、190頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1944-10-05). “運輸通信省告示 第483号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5319) .
- ^ 大蔵省印刷局, ed (1945-12-05). “運輸省告示 第175号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5670) .
- ^ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1987年3月、86頁。doi:10.11501/13278510。
- ^ 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010。
- ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日)
- ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
- ^ 北海道鉄道百年史 下巻 日本国有鉄道北海道総局
- ^ a b c “アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月31日閲覧。
- ^ a b c d 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正、小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012。
- ^ a b 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010。
- ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814 。
- ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。
- ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、1999年12月、30-31頁。ISBN 978-4533033766。
- ^ a b 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、20-21頁。ISBN 978-4533078583。
- ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、226頁。ISBN 978-4894536128。
- ^ 杉崎行恭『絶滅危惧駅舎』二見書房〈二見文庫〉、2010年6月、150頁。ISBN 978-4576100906。
外部リンク
編集- 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス 1948年撮影航空写真 USA-R254-No2-6 駅舎は2棟が横に重なって建てられている。構内はホームと駅舎間に側線が1本敷かれていたかのように間が開いているが、実際敷かれていたのかどうかは不明。