斜内駅

かつて北海道枝幸郡浜頓別町にあった日本国有鉄道の駅(廃駅)

斜内駅(しゃないえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡浜頓別町字斜内にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)興浜北線廃駅)である。電報略号ヤナ事務管理コードは▲122002[2]

斜内駅
しゃない
Shanai
豊浜仮乗降場 (2.1 km)
(5.3 km) 目梨泊
所在地 北海道枝幸郡浜頓別町字斜内
北緯45度3分49.9秒 東経142度28分34.9秒 / 北緯45.063861度 東経142.476361度 / 45.063861; 142.476361
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 興浜北線
キロ程 12.4 km(浜頓別起点)
電報略号 ヤナ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1936年昭和11年)7月10日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 興浜北線廃線に伴い廃駅
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1977年の斜内駅と周囲約500m範囲。右下が北見枝幸方面。北見神威岬の北側根元にある、漁業を中心とする集落。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

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駅名の由来

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所在地名より[3]アイヌ語に由来するが諸説ある。なお、アイヌ語におけるサ行とシャ行の区別は曖昧であるため、以下カタカナ表記は引用除きサ行で統一する。

  • 「ソナイ(so-nay)」(滝・川)[4][12][13]
    • 江戸後期のアイヌ語通詞上原熊次郎に「シヨーナイ。滝の沢と訳す。此所の右に滝の沢の有る故此名ある由[13]」と記録された。1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』ではこの説を採用する[4]
  • 「ソナイ(so-nay)」(岩礁・川)[4]
    • 浜頓別町ではこの説をとる[4]
  • 「シオナイポ(si-o-"nay-po")」(糞・多き・小沢)[12][13]
    • アイヌ語研究者の永田方正による解釈。当地のアイヌ集落がこの川で用を足していたため、としている[12]。これについてアイヌ語研究者の山田秀三は「永田氏の時代のアイヌの説話的な解であろう[13]」としている。

駅構造

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廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(北見枝幸方面に向かって左手側)に存在した[14]分岐器を持たない棒線駅となっていた。

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は改築され、豊牛駅と同型の駅舎となっていた[14]。駅舎は構内の東側に位置し、ホームに接していた。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1951年(昭和26年) 55 [15]
1961年(昭和36年) 51
1965年(昭和40年) 59
1971年(昭和46年) 41
1978年(昭和53年) 42 [16]
1981年(昭和56年) 8 [15]
1985年(昭和60年) 0.5 同年7月に興浜北線廃止

駅周辺

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1977年の北見神威岬と周囲約1km範囲。下が北見枝幸方面。切り立った岬の先端を回り込んでくる列車の姿の美しさから、道内のローカル線風景でも屈指の撮影ポイントとして知られていたが、一方で冬期荒天時の運休の原因になるポイントでもあった。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅跡

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2000年(平成12年)時点では駅舎が残存しており、住宅に再利用されていた模様であった[18]2010年(平成22年)時点でも駅舎は残存しており、個人所有の倉庫[19][20](別荘とも[21])に再利用されている。ホームなどは残っていない[19]。個人所有物になっているため、中に入ることはできない。

隣の駅

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日本国有鉄道
興浜北線
豊牛駅 - <豊浜仮乗降場> - 斜内駅 - 目梨泊駅

脚注

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  1. ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、908頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、241頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ a b 内閣印刷局, ed (1932-10-26). “鉄道省告示 第199号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2850). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959331/4. 
  4. ^ a b c d e f g 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、190頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 大蔵省印刷局, ed (1944-10-05). “運輸通信省告示 第483号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5319). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2961821/4. 
  6. ^ 大蔵省印刷局, ed (1945-12-05). “運輸省告示 第175号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (5670). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2962175/1. 
  7. ^ 日本国有鉄道旭川鉄道管理局 編『旭川・鉄道八十八年の歩み』日本国有鉄道旭川鉄道管理局、1987年3月、86頁。doi:10.11501/13278510 
  8. ^ 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010 
  9. ^ “日本国有鉄道公示第148号”. 官報. (1972年9月14日) 
  10. ^ 「通報 ●天北線上音威子府駅ほか11駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1973年9月14日、4面。
  11. ^ 北海道鉄道百年史 下巻 日本国有鉄道北海道総局
  12. ^ a b c アイヌ語地名リスト シベ~セツ P61-70P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月31日閲覧。
  13. ^ a b c d 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日。ISBN 978-4-88323-114-0 
  14. ^ a b c 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、193頁。ISBN 978-4093951012 
  15. ^ a b 浜頓別町史編集委員会 編『浜頓別町史』北海道出版企画センター、1995年3月。ISBN 978-4832895010 
  16. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、895頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  17. ^ 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、17頁。 
  18. ^ 宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くVII』JTBパブリッシングJTBキャンブックス〉、1999年12月、30-31頁。ISBN 978-4533033766 
  19. ^ a b 今尾恵介 編『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』JTBパブリッシング、2010年3月、20-21頁。ISBN 978-4533078583 
  20. ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、226頁。ISBN 978-4894536128 
  21. ^ 杉崎行恭『絶滅危惧駅舎』二見書房〈二見文庫〉、2010年6月、150頁。ISBN 978-4576100906 

外部リンク

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関連項目

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