斎藤隆介
斎藤 隆介(さいとう りゅうすけ、1917年1月25日 - 1985年10月30日)は、日本の児童文学作家。本名は隆勝(たかかつ)。
斎藤 隆介 | |
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誕生 |
斎藤 隆勝 1917年1月25日 東京都 |
死没 |
1985年10月30日(68歳没) 東京都 |
職業 | 児童文学作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 明治大学専門部文科 |
活動期間 | 1950年 - 1985年 |
代表作 |
ベロ出しチョンマ モチモチの木 天の赤馬 |
主な受賞歴 |
第17回小学館文学賞(1968年) 第18回日本児童文学者協会賞(1978年) 第10回絵本にっぽん賞(1987年) |
デビュー作 | 八郎 |
短編童話集『ベロ出しチョンマ』で、1968年に第17回小学館文学賞、『天の赤馬』で、1978年に第18回日本児童文学者協会賞、『ソメコとオニ』で、1987年に第10回絵本にっぽん賞を受賞。
来歴・人物
編集東京都生まれ。山本有三を慕って明治大学専門部文科(文芸科)に入学。在学中ゴーリキーの影響を受ける。卒業後、北海道新聞、秋田魁新報の記者を歴任。新聞記者のかたわら著作活動に入る。
秋田地方の方言、オノマトペをふんだんにちりばめた民話の体裁をとりながら、ほとんどは斎藤の創作童話である。当初は子供向けではなく、地元の教員や生徒の父母に向けた作品でありながら、画家滝平二郎の独特な挿絵、絵本化によって次第に有名な児童文学作家となる。滝平とは末永い創作活動を続けることとなる。
作風
編集単純で骨太な展開、生と死のはざまで揺れ動く主人公を描くことで、人間が根源的にもっている情念・情愛からほとばしる生への尽きぬエネルギーに満ちあふれている。一方、献身、自己犠牲といった説話くさい主題、表現で、発表当初から賛否両論を巻き起こしたものの、戦後の児童文学史上、童話および絵本の新分野を開拓し、民話絵本のブームを起こし、小学校の教科書にも取り上げられ、数々の業績を残した。斎藤の作風は主に古田足日をはじめ、神宮輝夫、今江祥智、藤田のぼるなどに強い影響を与えた。
主な作品
編集- 八郎(初出:1950年 秋北中学生新聞)福音館書店、1967 - 八郎潟
- ベロ出しチョンマ(1967年/理論社) のち角川文庫、フォア文庫 - 斉藤自身が、歌舞伎にもなった佐倉惣五郎の逸話を元にした創作であると語った物語[1]。
- 職人衆昔ばなし (1967年/文藝春秋) のち文庫、文春学藝ライブラリー
- 職人衆昔ばなし 続 (1968年/文藝春秋)
- 花さき山(1969年1月/岩崎書店)
- 三コ(1969年8月/福音館書店) - 三湖伝説
- ゆき 講談社、1969 のち文庫
- 町の職人 文藝春秋、1969
- 立ってみなさい 新日本出版社、1969 のち講談社文庫
- 半日村(学習研究社『2年の学習臨時増刊/読み物特集号』、1969年[2]/1980年1月/岩崎書店)
- ちょうちん屋のままッ子 理論社、1970 のち角川文庫 1971年第18回産経児童出版文化賞受賞
- まけうさぎ(1971年1月/新日本出版社)
- モチモチの木(1971年11月/岩崎書店)(1972年、岡本忠成により映像化[1])
- ひさの星(1972年1月/岩崎書店)
- でえだらぼう 福音館書店、1972
- かまくら 講談社、1972
- ケチ六 あかね書房、1975
- 火 岩崎書店、1975
- 火を噴く山 新日本出版社、1977
- 冬の夜ばなし 新日本出版社、1977
- 雪の夜がたり 新日本出版社、1977
- 天の赤馬 岩崎書店、1977 のちフォア文庫
- ショーンのネズミ 講談社、1977[3]
- 天の笛 佼成出版社、1978
- わらの馬 講談社、1979
- ひとりの正月 佼成出版社、1979
- 天に花咲け 新日本出版社、1981
- ふき 講談社、1981
- 斎藤隆介全集(岩崎書店・全12巻)1982
脚注
編集- ^ 日本児童文学者協会編 『児童文学読本 (日本児童文学別冊)』 すばる書房盛光堂 1975年
- ^ “「2年の学習臨時増刊/読み物特集号」和歌山静子 滝平二郎 馬場のぼる 他”. フローベルグ. 2024年10月26日閲覧。
- ^ “立ってみなさい (講談社文庫)”. Amazon.com. 2024年10月26日閲覧。