斎藤充弘
斎藤 充弘(さいとう みつひろ、1968年12月17日 - )は、長野県伊那市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は東京ヤクルトスワローズのチーム運営球団職員。
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 長野県伊那市 |
生年月日 | 1968年12月17日(56歳) |
身長 体重 |
180 cm 83 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1993年 ドラフト2位(逆指名) |
初出場 | 1994年4月13日 |
最終出場 | 1999年10月15日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
来歴・人物
編集小学4年の時に野球を始める[1]。伊那北高では1年秋から登板するも県大会ベスト8が最高で甲子園に出場はできなかった[1]。首都大学野球の日体大に進学[1]。1年上に有倉雅史がいた。4年秋の明治神宮大会では初戦完封勝利[2]。リーグ通算成績は6勝4敗。
その後、日立製作所では都市対抗野球に補強を含めて3年連続出場、諸積兼司との活躍で1993年の東京スポニチ大会優勝に貢献した[2]同年逆指名制度によりドラフト2位でヤクルトに入団[1]。切れの良い速球、スライダー、フォークの本格派として期待されたが層の厚い投手陣では一軍の壁は厚く、一時サイドスローにするなど試行錯誤が続いた[3]。
1996年にイースタン・リーグで11勝を挙げ、最多勝投手になる[1]。
現在は、チーム運営部所属。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | ヤクルト | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 11 | 1.2 | 4 | 2 | 2 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 6 | 6 | 32.4 | 3.60 |
1995 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 37 | 7.1 | 8 | 1 | 7 | 0 | 0 | 4 | 1 | 0 | 6 | 6 | 7.36 | 2.05 | |
1999 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 53 | 12.0 | 12 | 2 | 7 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 9 | 8 | 6.00 | 1.58 | |
通算:3年 | 12 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 101 | 21.0 | 24 | 5 | 16 | 0 | 0 | 16 | 1 | 1 | 21 | 20 | 8.57 | 1.90 |
記録
編集- 初登板:1994年4月13日、対広島東洋カープ1回戦(広島市民球場)、3回裏2死より2番手として救援登板、1回2/3を6失点
- 初奪三振:同上、3回裏に緒方孝市から
- 初先発:1995年10月8日、対中日ドラゴンズ26回戦(ナゴヤ球場)、4回2失点
背番号
編集- 12 (1994年 - 2000年)
脚注
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 個人年度別成績 斎藤充弘 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)