文室 弟直(ふんや の おとなお)は、平安時代初期の貴族。名は乙直弟貞とも記される。真人のち朝臣大納言文室浄三の孫。大宰大弐文室与伎の子。官位従四位下播磨守

 
文室弟直
時代 平安時代初期
生誕 神護景雲4年(770年
死没 天長7年閏12月18日831年2月4日
別名 乙直、弟貞
官位 従四位下播磨守
主君 桓武天皇平城天皇嵯峨天皇淳和天皇
氏族 文室真人朝臣
父母 父:文室与伎、母:平田孫王
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経歴

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大伴親王(のち淳和天皇)が幼い頃に母(藤原旅子)を喪ったため、桓武天皇は身寄りをなくしたことを憐れみ、女官を務めていた弟直の生母である平田孫王を養母とした[1]延暦20年(801年従五位下土佐守に叙任され、桓武朝末の延暦25年(806年)に左大舎人助となった。

大同5年(810年薬子の変終結後に大蔵少輔次いで少納言に任ぜられる。その後、嵯峨朝において時期は明らかでないが真人姓から朝臣姓に改姓している。

弘仁13年(822年)20年以上ぶりに昇進して従五位上に叙せられると、弘仁14年(823年)4月の淳和天皇の即位に伴い正五位下、同年11月の大嘗祭で正五位上、翌天長元年(824年)正月には従四位下と淳和朝初頭に続けて昇叙される。のち、治部大輔上野守備中守・播磨守などを歴任した。

天長7年閏12月18日(831年2月4日)卒去享年61。

人物

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官職に在任の間、毀誉褒貶はなかった。生来、折り目の正しさがなく、物事に対する弁えがなかったが、天寿を全うしたという[1]

官歴

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日本後紀』による。

脚注

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  1. ^ a b 『日本後紀』天長7年閏12月18日条

参考文献

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