文公(ぶんこう、? - 紀元前595年)は、中国の春秋時代の曹の君主(在位前618年 - 前595年)。姓は姫、名は寿。共公の子として生まれた[1]。紀元前618年8月、共公が死去する[2]と、文公が後を嗣いで曹公として即位した。紀元前612年、晋・宋・衛・蔡・鄭・許の諸侯らと扈で盟を交わした[3]。紀元前602年、晋・魯・宋・衛・鄭の諸侯らと黒壌で会合した[4]。紀元前600年、文公は晋・宋・衛・鄭の諸侯らと扈で会合した[5]。紀元前595年5月壬申、文公は死去し[6]、子の宣公が後を嗣いで曹公として即位した[1]。成公は『史記』では文公の子とし、杜預注は宣公の庶子とする。