敬敏皇貴妃(けいびんこうきひ、? - 1699年)は、清の康熙帝の側室。満洲鑲黄旗の出身。姓はジャンギャ(章佳)氏(Janggiya hala)。
参領のハイクワン(海寛)の養女で、ショセ(碩色)の娘にあたる。康熙帝の後宮に入り、子女を3人産んだが、康熙38年(1699年)に亡くなった。「敏」と諡されて、景陵の妃園寝に葬られた。
敏妃の息子の胤祥は、皇位継承争いで雍正帝の擁立に貢献した。雍正帝が即位すると、胤祥に対する褒賞として、敏妃は「敬敏皇貴妃」と加諡され、景陵に附葬された。