探検家としてのわが生涯

探検家としてのわが生涯』は、スヴェン・ヘディンによる著作。1923年にヘディンがアメリカで講演した際、生涯を簡潔に一冊の本にまとめるよう依頼された。1924年に執筆し、翌年に『My Life as an Explorer』の題でニューヨークのガーデン・シティ出版社から発刊された。

第65章を増補したドイツ語版は、1928年に出版された。

構成

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各章を探検ごとに分類し、章題(山口訳)を記した。

白水社『ヘディン探検紀行全集』(1978-1981年) 内の対応する著作名も併記した。

1-5章 (1886年4月-9月)

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発端/エルブルズ山脈を越えてテヘランへ/馬でペルシア縦断/メソポタミアを縦断バグダードへ/西部ペルシア冒険騎行/

ヘディン21歳。ギムナジウム卒業直前にバクーで家庭教師をし、その報酬でペルシア・メソポタミアを旅。

※ この部は『ペルシアから中央アジアへ』の前半部 (1887年出版) に相当。

6-14章 (1890年4月-1891年3月)

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コンスタンチノープル/使節としてペルシア王のもとへ/ある墓場/デマメンド山に登る/太陽の国ホラサン横断/殉難者の町メシェッドブハラサマルカンド/サマルカンドからカシュガルへ/ブハラのエミールのもとにて/

ヘディンはオスカー国王のペルシア使節団に随行しテヘランへ。そこで、アジア奥地まで行きたいと希望し、国王から旅費をもらい中国のカシュガルまで行った。

※ この部は『ペルシアから中央アジアへ』の後半部 (1892-3年出版) に相当。

15-31章 (1893年10月-1897年5月)

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馬車で3000キロ-《世界の屋根》の冬騎行/キルギス人とともに/《氷雪山の父》との戦い/砂漠に向かって/砂の海/キャラバン壊滅/九死に一生!/ロビンソン・クルーソー/第2次パミール行/2000年前の砂漠の古都の発見/野生らくだの天国/ロプ・ノール経由コータンへ/内陸アジアの探偵小説/初めてチベットに入る/野生のろば、野生のやく、蒙古人/タングートの匪賊の中で/帰郷/

本格的な第1回中央アジア探検。1895年4-5月のタクラマカン砂漠横断時、水の補給に失敗し死にかけたエピソードが有名。1896年にあらためてタクラマカン砂漠縦断に成功。

※ この部は『アジアの砂漠を越えて』上下 (1898年) に相当。

32-46章 (1899年6月-1902年7月)

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砂漠へ帰る/内陸アジア最大の川の上で/氷との戦い/冬の大砂漠を馬で行く/ロプ砂漠における古都の発見/タリム河上での最後の数週/チベットでの最初の冒険/死の退却行/水もなくゴビの砂漠を行く/眠れる町ローラン(楼蘭)/チベット高原に帰る/巡礼に変装してラサへ/捕虜となる!/武力によって阻止さる!/チベットよりインドへ、そしてまたチベットへ/

第2回中央アジア探検。1899年タリム川を調査し、1900年旧ロプ湖ほとりに楼蘭遺跡を発見、翌年発掘。 1901年 [注 1]チベットにも入ったがラサには入れなかった。

※ この部は『チベットの冒険[注 2] (1904年) に相当。

47章 (1905年10月-1906年5月)

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4つの政府との戦い/

トルコからイランのカビール砂漠を横断しインドへ。ところがイギリスからチベットに入る許可が降りない[注 3]

※ この部は『陸路インドへ』上下 (1910年) に相当。

48-65章 (1906年8月-1909年1月)

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湖上の冒険行/死神を道づれに北部チベットを行く/広大な空白地域を行く!/タシ・ルンポへの巡礼/タシ・ラマのもとでの新年祭/タシ・ルンポとシガツェ/幽閉された僧侶たち/モハメッド・イサの最後の旅/ブラフマプトラ源流の発見/聖湖マナサロワール/デーモンの湖ラカス・タル/聖山よりインダス川の源流へ/おそるべき北部チベットの冬/羊飼いに変装して/ふたたびチベットの捕虜となる!/さらに未知の国を行く/インドへ/最後の数年/

第3回中央アジア探検。ラサには入れなかったが、1907年シガツェに75日滞在しタシ・ラマと面会した。トランスヒマラヤ山脈英語版を南北に縦断すること8回。トランスヒマラヤ山脈とヒマラヤ山脈の間で、インダス川とブラフマプトラ(ガンジス)川の源流を確認。

※ この部は『トランスヒマラヤ』上下 (1909-12年) に相当。

この著作にはないヘディンの探検

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1927年以後の探検については当然この『探検家としてのわが生涯』には含まれていない。

1927-33年 第4回中央アジア探検(ゴビ砂漠探検)
その著作は『ゴビ砂漠横断』『ゴビ砂漠の謎』『熱河-皇帝の都』
1933-35年 第5回中央アジア探検(中国からロプ湖への探検)
その著作は『戦乱の西域を行く』『シルクロード』『さまよえる湖 』

日本語訳

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  • 小野六郎訳 『探検家としての余の生涯』 橘書店 1942 英語版からの訳。
  • 山口四郎訳 『探検家としてのわが生涯』ヘディン中央アジア探検紀行全集11 白水社 1966、復刊1997。ISBN 4560030278 ドイツ語版からの訳。

脚注

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注釈

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  1. ^ この1901-2年に河口慧海はチベット人に化けてラサ潜入に成功している。
  2. ^ この第2回中央アジア探検についての正式な紀行文はドイツ語訳で "Im Herzen von Asien"(アジアの心臓部で)(1903年)。その圧縮版が翻訳底本の "Abenteuer in Tibet" 。
  3. ^ 当時ロシアもチベットに介入を試み、日露戦争もあって英露関係が緊張状態だったため。

出典

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