手島郁郎
手島 郁郎(てしま いくろう、1910年 - 1973年12月25日)は、無教会主義の流れを汲むキリスト教系宗教団体、キリストの幕屋の創始者。熊本県出身。手島アブラハム郁郎とも。
生涯
編集イスラエルとの関わり
編集手島はイスラエルと深い交友関係を持っており、マルティン・ブーバーを訪ねたこともある[1]。
また、聖地・エルサレムへは何度も訪れている。1973年3月にはイスラエル建国25周年を祝うために、400人の団員を引き連れてヘルツルの丘を訪問した[1]。
第三次中東戦争が勃発した際には「イスラエル救援委員会」を組織し、救援物資を持ってイスラエルへと渡った。また、第四次中東戦争が勃発した際には、手島が先頭に立って日本全国から3000人規模の人員を集め、イスラエルへの支持を唱えて東京都内を行進した[1]。
これらの活動が評価され、1967年9月の第三次中東戦争での手島のイスラエル支援活動と1974年1月に手島が死去した際に、彼の名はユダヤ人基金の「黄金の書」に記された[1]。
脚注
編集- ^ a b c d 手島郁郎先生とイスラエルキリストの幕屋公式サイト
参考文献
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 手島郁郎先生 - 原始福音キリストの幕屋
- わが父・手島郁郎について語る手島佑郎、日本キリスト教協議会、1999年11月