戸羽太
戸羽 太(とば ふとし、1965年〈昭和40年〉1月2日[2] - )は、日本の政治家。元岩手県陸前高田市長(3期)、陸前高田市助役→副市長、陸前高田市議会議員(3期)を務めた。
戸羽 太 とば ふとし | |
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内閣府地方創生推進室より公表された肖像 | |
生年月日 | 1965年1月2日(59歳) |
出生地 | 神奈川県足柄上郡松田町 |
出身校 | 東京都立町田高等学校 |
所属政党 | 無所属 |
親族 | 父・戸羽一男(岩手県議会議員) |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2011年2月13日[1] - 2023年2月12日 |
陸前高田市議会議員 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1995年 - 2007年 |
来歴
編集神奈川県足柄上郡松田町生まれ。東京都町田市育ち。町田市立鶴川第四小学校、町田市立鶴川中学校、東京都立町田高等学校卒業[3]。実父は岩手県議会議員を3期務めた戸羽一男[4]。母方の祖父は松田町議会議長、叔父も松田町助役を務めた。
10代の時はバンドを組んでプロミュージシャンを目指した[4]。
アメリカに留学し、帰国後にソフトウェア会社に入社[4]、28歳のときに陸前高田市の食品会社に入社[3][5]。1995年に陸前高田市議選に出馬し、初当選を果たした。当選後は自由民主党系の会派「爽風会」に所属。
陸前高田市でタラソテラピー(海洋療法)施設の建設が計画された際は、この計画に反対し[6]、住民投票条例制定を主張した[7]。同様にタラソテラピー建設に反対した日本共産党に所属する市議の中里長門がタラソテラピー建設反対の運動を行う住民運動グループ「陸前高田市政を考える市民の会」から推されて陸前高田市長選に出馬した際、中里陣営の選挙対策本部で幹事長を務め、中里の当選に尽力した[8]。なおこの市長選では、戸羽が所属する自民党系の爽風会も中里を支援し、異例の自共共闘が見られた。
2007年、中里市長から陸前高田市助役への就任を要請され、市議を辞職して助役に就任した[9]。
2011年、中里長門市長の引退に伴い、市民団体「あたらしい陸前高田市をつくる市民の声」から推され、無所属で陸前高田市長選への出馬を表明[10]。民主党推薦の、元県議で元副市長でもあった菅原一敏を破り、2011年2月6日に当選を果たした[11][12][13]。
東日本大震災
編集市長就任(2011年2月13日)の約1ヶ月後の2011年(平成23年)3月11日、東北地方太平洋沖地震による津波で市役所が全壊、多くの職員が犠牲になった[4]。また妻も行方不明となったが子供2人を親類宅に預けて職務を遂行[14]、4月5日に妻の遺体を確認した[15][16][17]。
4月2日には被災地を視察に訪れた内閣総理大臣菅直人に被災状況を説明、その後記者団に対して「一国のトップに直接訴え掛けができたのは大変ありがたい」と語った[18]。
2015年2月、大差で再選した[19]。
著書
編集- 被災地の本当の話をしよう〜陸前高田市長が綴るあの日とこれから〜(ワニブックスPLUS新書、2011年8月 ISBN 4847065220)
- がんぱっぺし!ぺしぺしぺし!(大和出版、2013年3月 ISBN 4804762078)
脚注
編集- ^ 知事、市町村長、県議会議員、市町村議会議員の任期満了一覧表(平成28年11月1日現在)
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、33頁。
- ^ a b “陸前高田市長は町田育ち”. 朝日新聞 (2011年4月5日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ a b c d “2015陸前高田市長選 候補者のプロフィール”. 東海新報 (2015年2月4日). 2015年5月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “陸前高田市長の妻、遺体で確認 激務のなか安置所で再会 2/2”. 朝日新聞 (2011年4月6日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “読者ニュース第162号”. 赤旗陸前高田出張所 (2002年2月1日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “陸前高田市議会 「市民の会」が直接請求した海洋療法施設建設の可否を問う住民投票条例を否決”. 赤旗陸前高田出張所 (2002年12月20日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “岩手・陸前高田に共産党員市長誕生”. しんぶん赤旗 (2003年2月4日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “読者ニュース第326号”. 赤旗陸前高田出張所 (2007年3月2日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “中里市政を引き継ぎ 戸羽太氏が出馬へ” (PDF). 赤旗陸前高田出張所 (2010年12月3日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “民主に反発、陣営結束 陸前高田市長に戸羽氏”. 朝日新聞 (2011年2月7日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “岩手・陸前高田市長選、小沢氏支援の候補敗れる”. 読売新聞 (2011年2月6日). 2011年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月6日閲覧。
- ^ “陸前高田市長に戸羽氏”. しんぶん赤旗 (2011年2月7日). 2011年4月6日閲覧。
- ^ “被災地から:最低限の衣食住を 戸羽太・岩手県陸前高田市長”. 毎日新聞 (2011年3月23日). 2012年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年4月6日閲覧。
- ^ “陸前高田市長、不明だった妻と悲しみの対面”. 読売新聞 (2011年4月6日). 2011年4月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “陸前高田市長の妻、遺体で確認 激務のなか安置所で再会 1/2”. 朝日新聞 (2011年4月6日). 2011年4月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “東日本大震災:陸前高田市長の妻の遺体を確認”. 毎日新聞 (2011年4月6日). 2011年4月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “菅首相と戸羽市長”. 時事通信 (2011年4月2日). 2011年4月6日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “陸前高田市長選 戸羽氏、大差で再選 岩手”. 産経新聞 (2015年2月10日). 2015年5月23日閲覧。
- ^ “5票差で再選の陸前高田市長 「敗戦の弁考えた」”. 朝日新聞. (2019年2月4日) 2019年2月4日閲覧。
- ^ “岩手・陸前高田市長選、佐々木拓氏が初当選”. 河北新報. (2023年2月5日) 2023年2月6日閲覧。
外部リンク
編集- あたらしい陸前高田市をつくる市民の声 - ウェイバックマシン(2019年2月18日アーカイブ分)[リンク切れ]
- 被災地の本当の話を知るべし! 陸前高田市長が見た「規制」という名のバカの壁とは?
- 陸前高田市長と語る「被災地の今」 樺チャンネル(Ustream) - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
公職 | ||
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先代 中里長門 |
岩手県陸前高田市長 2011年 -2023年 |
次代 佐々木拓 |