戸田 氏倚(とだ うじより、安永2年(1773年) - 天保8年10月25日1837年11月22日))は、江戸時代後期の高家旗本戸田氏朋の長男。生母は戸田氏。通称は文太郎、図書。官位は正四位下左少将、備前守。

寛政元年(1789年)5月15日、将軍徳川家斉御目見する。寛政10年(1798年)9月14日、高家見習に就任する。12月16日、従五位下侍従・備後守に叙任する。後に正四位下に昇進、備前守に改める。文化7年(1810年)12月22日、父氏朋の死去により家督を相続した。12月24日、高家肝煎職に就く。天保5年(1834年)9月5日、病気を理由に辞任する。天保6年(1835年)4月10日、隠居し息子氏敏に家督を譲る。隠居後、松心と号す。天保8年(1837年)10月25日死去、65歳。

正妻は戸田氏紹の娘。後妻は松平定休の娘。長男氏敏、次男豊常岡部豊矩養子)、四男氏恒品川氏繁養子)ら4男4女あり。

先代
戸田氏朋
高家戸田家第6代当主
1810年 - 1835年
次代
戸田氏敏