戸田忠如
戸田 忠如(とだ ただゆき)は、江戸時代中期の下野国足利藩の世嗣。官位は従五位下・大隅守。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝暦元年(1751年) |
死没 | 明和8年9月2日(1771年10月9日) |
官位 | 従五位下大隅守 |
藩 | 下野足利藩世嗣 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 戸田忠言、毛利高慶娘 |
兄弟 | 忠如、忠春、安藤定意正室、徳山頼福室、川口恒久室、河野通成室、忠佼、忠喬ら |
略歴
編集4代藩主・戸田忠言の長男として誕生。母は毛利高慶の娘。許嫁に毛利高丘娘。
足利藩嫡子として生まれ、明和5年(1768年)に10代将軍・徳川家治に拝謁する。翌年叙任するが、明和8年(1771年)に早世した。
代わって、弟・忠喬が嫡子となった。