戸田忠囿
戸田 忠囿(とだ ただその)は、下野足利藩の第2代藩主。宇都宮藩戸田家分家2代。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文9年(1669年) |
死没 | 享保17年5月2日(1732年5月25日) |
改名 | 善八郎・十郎兵衛(幼名)、忠囿 |
別名 | 玄蕃(通称)、忠厚(別名) |
戒名 | 良翁全策直至院 |
墓所 | 東京都新宿区牛込の松源寺 |
官位 | 従五位下、大隅守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 下野国足利藩主 |
氏族 | 戸田氏 |
父母 | 父:戸田忠時、母:土屋利次の娘 |
兄弟 | 忠勝、忠義、松平忠欽、忠囿 |
妻 | 正室:土屋氏 |
子 | 忠位、輝昌(次男)、娘(竹中元敏室)、真珠院(小堀政峯正室)、嶋田政之、娘(蒔田定英正室)、遠藤常之(六男)、娘(山口直安養女)、戸田忠知(七男)、天野昌邦(八男)、窪田忠一(九男)、忠褒(十男)、娘(牧野成範正室)、娘(戸田勝豊室)、忠則(十二男) |
寛文9年(1669年)、初代藩主・戸田忠時がまだ旗本だった時代に、その四男として生まれる。兄の忠勝が早世したため嫡子となり、忠時が1万1000石の大名となったのち、宝永2年12月19日(1706年)に従五位下・大隅守に叙位・任官する。宝永5年(1708年)6月29日に父が隠居したため家督を継いだ。
大坂定番に任じられて大坂に赴くが、そこで病に倒れ、享保17年(1732年)5月2日に大坂で死去した。享年64。跡を長男の忠位が継いだ。
系譜
編集父母
正室
- 土屋氏
子女
- 戸田忠位(長男)生母は土屋氏(正室)
- 戸田輝昌(次男)
- 真珠院 ー 小堀政峯正室、生母は土屋氏(正室)
- 嶋田政之
- 蒔田定英正室
- 遠藤常之(六男)
- 山口直安の養女
- 戸田忠知(七男)
- 天野昌邦(八男)
- 窪田忠一(九男)生母は土屋氏(正室)
- 戸田忠褒(十男)
- 牧野成範正室、生母は土屋氏(正室)
- 戸田勝豊室
- 戸田忠則(十二男)
養女
- 竹中元敏室